5月15日(水)竹笋生。意識とは主観のことなり。

 薄雲のかかる白っぽい晴れ、のち薄曇り、のち本曇り。13.8℃~25.7℃、52%。3900歩。夏日。夜遅く雨との予報あり。新緑の季節なり。おの季節は、生命の息吹を感じますねぇ♪

 

 いつから意識は生じたのか:

 生命は、細胞膜により、自他あるいは自己と外界を区別した、ことにより始まったと言ふ。始めは単細胞生命だったが、あるとき多細胞が集まって個体を形成した。単細胞の時から原初的な意識はあったという説もあり、多細胞になって神経系ができてから意識が生じたという説もありまふ。

 もっと自己中な説では、「人間にしか意識はナインだよ。」といひまふ。進化の連続性から考えると、このの説はたぶん独善的杉るでしょう。生命の構成要素はDNAにしろアミノ酸にしろタンパク質にしろ殆どおんなじなんすから。

 主観の研究で最も困難な壁は、「主観は内と外に閉じている」ということでしょうか。内側に関しては、自分の身体や脳内で意識がどうやって機能しているのかは、自分では全くわっかりませーん。我々が網膜を自覚できないのと同じですね。外に関しては、他者にしろ、他の生物にしろ、AI にしろ、そこに果たして意識があるのかどうかは、全くわっかりませーん。自分の経験に照らして推測するしかナインだすぅ。

 だから、進化論的に意識のありようを多数の事実に照らして推論するか、自分の主観を侵襲的に操作して人体実験するしかナインすね。前者にはそもそも多くの事実を収集することさえ困難ですから、机上の空論にならざるを得ません。

 意識の働きは、「量子力学的な効果と一部共通するところがある」として量子論と結びつける動きもありましたが、こりはむしろ哲学に近く、客観的な科学というには道遠し。

 自覚的には「在る」と分かってはいるが、その物質的な機序はまったく分かっていない!という最も困難な課題が「意識の研究」と言へるです。認知神経科学とか意識の科学とか名前は付きましたが、みんなで「むずかすい、むずかすい」といいながら半世紀がたってしもたですよ。タハハハ

 全身麻酔をしたことがある人なら経験していると思いますが、あれは意識のワープとも言えるもので、亜酸化窒素ガスを吸った途端に、あっという間に気が付い時点に飛んでるんすね。意識のない期間が完全に飛んでるんす。熟睡しても起きた時は時間の経過をかだらのどこかで感じているもんですが、そりがまったくナインすね。

 「意識あり、ゆえに我あり」を実感できます。ほーんとに意識って不思議ですよね。ほんなら、さいなら、さいなら♪