3月24日(火)分かるものは分かるし、分からないものは分からない。とか分からないことをゆってみる。

 白っぽい快晴!5℃~13℃、29%。乾燥!北寄りの突風強し。花粉少なし。

 

 意識を意識できるのか:神秘主義への傾斜。

 意識は命と同じですべての生命が持っている本質的なものである、と主張する人もおります。ま、定義によってはそーとも言えるし、そーではないとも言えます。意識や生命ってのは定義が極めて難しいんすね。ウィルスみたいに他の細胞に寄生しないと増えられないものは生命ではないという人もいて、そのばやいは生きてるじゃなくして、不活性とか化学的に表現します。

 意識も、外界を認識しそれに対して的確に反応するとかなーり広く定義すれば、植物も意識を持つといえるでしょう。植物には神経が無いのに個々の細胞に植え込まれた遺伝的な要素で、気温や湿度や水分や日光や化学物質や虫害や季節などなどイロエロな情報を感知し、記憶し発芽、成長、開花、結実、落葉、などなど生きる行動を適時適確に実行できます。

 植物には、いわゆる心とか自意識、知識、感情、存在、直感、思考、精神、主観性、感性、内省など人間的な意識はなさそうです。各細胞が共同して環境に対処する群れの意識のようなものかも知れません。もっと原初的には、粘菌なんぞは群れで動いていって、迷路を解決したりできるし、環境に応じて動き回ったり、植物みたに固定して胞子を飛ばしたりできます。更にはアメーバみたいな単細胞でもうごめいて、嫌なものは避け、餌には接近するという環境応答はあります。つうことで環境への適応行動はイロエロとあるわけで、意識も定義によって変化します。

 だがっ、意識を意識する、自己の存在を意識できるのは人間という現存在だけなのれすぅ。生物の形質がながーい進化の過程で展開してきたように、意識もその原初的な形態から大脳の発達した人間まで、連続して展開してきたのは確かです。突然の奇跡で人間ができたのではあーりまへん。でも生物の形態と違って、他の生物の主観なんて分かりっこあーりまへん。そこんとこが心とか主観の進化論のハードプロブレムではあります(つまりどこまで行っても仮説の範囲から出れないのれす)。ショボーン

 

 脳内の神経細胞ネットワークの発火(スパイク?)が意識を生み出すとしても、その機序はまったく分かっておりませーん!つうことは、3000もの化学物質を用いて情報の相互やりとりをしている植物群に、時間スケールは違うにしても別種の意識が無いとは言えんぞなもし。植物は自分や自種と他種を区別して根や葉を延ばしたり縮めたりしてますからねィ。ども。