7月10日(金)結論か過程か?それが問題だ。

 白っぽい夏ばれ。23.3℃~31.6℃、56%。1800歩。南東風やや強し。真夏日なり。

 

 決められる政治とは:独裁者の陰謀である。

 このブログでは、リザルトかプロセスか?という議論を縷々述べてきたが、その得失はいろいろな対象において異なるものと思われる。勝負事やスポーツ、あるいは科学的業績においては、リザルトの方に重心が掛かるような気がする。しかし、こと政治の分野では、プロセスの方が圧倒的に重要であろうと、かように愚考致したる次第。

 それは何故か?・・・政治の分野では、その結論が取り返しのつかないような結果(戦争や経済破壊など)をもたらすからである。また基本的には、いろいろな利害関係の調整であるから、不満の調停であると言ってもいいかも知れない。時には皆に少しずつ我慢をしてもらう「三方一両損」のような施策も必要であろう。

 このような分野において、即断即決の決められる政治が適しているのであろうか?極端に言えば、このような手法は独裁に近い。良い時は良いが、悪い時は破滅に直結する。人間社会は何度かの大失敗により、政策決定のプロセスを重視するデモクラシーを選んだのではないか?デモクラシーとは徹底的な議論により、時間を掛けて丁寧に合意を取るというプロセスである。グダグダとやっていること自体が大切なんですぅ。ショートカットして結論を急ぐのはデモクラシーではありません。結論は時に間違えますが、それまでの葛藤を通して成員は成長します。右往左往して、時間を掛けることそのものに価値を見出したのが民主制なんです!

 「デモクラシーなんて西洋の押しつけダロ?へっ!」とか思う御仁も居るやにしれず。しかし日本は古来から和の精神でとことん話し合いを重んじる文化の伝統があるんです。村々の寄り合いでも、戦場(いくさば)での軍議でも、全員の合意が取れるまで、ぐだぐだ評定を重ねたんですね。諸君も日本古来の文化を尊重するよろし。とことん話し合う決められない政治は、決して西洋から押し付けられたものではないのです。ども。

7月9日(木)温風至。下弦。組織は自己増殖する。

 晴れのち快晴。21.6℃~31.7℃、52%。7100歩。真夏日なり。

 

 組織とは:生成と消滅

 組織とは本来、その成員たちがある目的を持って集まり、一人だけでは為し難いその目的を効率よく達成するために作ったものであるはず。組織の草創期は、みなその目的をしっかりと把握し、力を合わせて鋭意努力します。立ち上げが上手く行くと、そのあと組織はだんだん成長して行きます。成員もどんどん増えてきて、その大勢の人々を効率よく動かすために、管理部門の導入が始まります。組織が更に大きくなると、管理する部門も大きくなり、専門化され細分化されます。そうすると管理の為の文書が指数関数的に増大し、部門間を飛び交うようになります。このまで来ると、もう組織は生き物のように自身の維持、温存が他の目的を大きく凌駕するようになります。組織本来の目的を遂行すべき人々の仕事も、そのかなりの部分が、組織を維持するための業務で浸食されるようになります。そして最終的には→「組織は、その組織を維持・管理するために、その資源の大部分を使用するようになり、消滅すると。」

 これを避けるため、大企業などでは事業部制や社内分社化などで管理スパンの拡大を防ごうとしますが、最終的には会社自体を分割して生き残ろうとします。しかし国や自治体など親方日の丸でつぶれない組織は、際限なく不効率に陥りながらも存続する例が良く見られます。

 ex1)大学、研究機関など:学問の研究や教育よりも申請や計画、報告などの文書管理業務に腐心し、本来の主旨が犠牲にされます。
 ex2)国家:国家を維持するためと称して、維持するに値しない国に変身する。(全体主義、軍国主義、警察国家、恐怖国家)
 ex3)ブラック経済:短期的利益を求めて、従業員の福祉を犠牲にする。つまり「経世済民」が忘れられるわけです。

噓つきの分類。

 白い雲ぷかぷかの晴れ、夜遅く曇りの予報。20.5℃~30.4℃、47%。2600歩。真夏日なり。

 

 ナチュラルボーン・ウソッチョとは:

 嘘つきには3種あると言ふ。1.まず息を吐くように嘘をつくことになんらためらいの無い人。生まれつきの嘘つきで、ウソとホントに垣根がないし、罪悪感も無い。2.損得で嘘をつく人。お金や地位のために、ウソと判っちゃいるけどやめられない。3.ホントは嘘をつきたくないし特に利益もないけど、気が弱いために組織に逆らえない人。・・・諸君も1.2.3.それぞれに心当たりがあるでしょう?ま、過ってのモリやカケなど蕎麦屋さんの周辺にて採録す。1の人の特徴は「ハッキリと申し上げたい!」などと断言することですね。常に堂々としています。2の人は「知らない、記憶にない、記録がない」の3ない人です。時おり出世したり致します。3はその他大勢の人、お付きとか、秘書とか、組織の中の下の方の人々ですう。あるものをないと言わされたり、知ってることを知らないと言わされたりしてます。可愛そうですねぇ。

 これ以外にもこの分類の派生として、話を盛る人もおります。1を0と言う人は嘘つきですが、2を4と言う人は単なる法螺吹き男爵で、話しを大げさに盛り上げるだけです。要するに嘘つきと法螺吹きとは、質の違いであって量の違いではありません。作家などに多いタイプがナチュラルボーン・ホラッチョなんですね。

 ウソッチョとホラッチョの見分け方は簡単です。前者は目が泳ぎますが、後者は手が泳ぎます。ん?トランプさんは手が泳ぎますが、彼はひょっとして話を盛るだけのホラッチョだったのか???ど、どもども。

7月7日(火)小暑・七夕。公正さの基準とは。

 終日どんよりした曇り。20.7℃~24.4℃、68%。気温は低いが蒸し暑い。

 

 審判:レフリー、アンパイアー、ジャッジとは。

 スポーツ競技には審判というのが必要とされます。これは或る制約(ルール)のもとで、技を競い合うことから必然的に生じた役割です。この辺が公正でないと、競技自体がメロメロになっちまいます。採点競技などでも判定員の役割は極めて重要です。(ま、論文審査にも信頼性を担保する為には、レフリーが重要ですが。)この為、審判員、判定員の技術研鑽がそのスポーツの盛衰に影響を与えたりもします。

 しかし、人間というのはミスを犯す生き物ですから、時には大チョンボをしないとは限りません。またいろいろな理由(主に金銭関係や名誉など)で、判定にバイアスを掛ける例も、いろいろな競技で散見されます。そこで近年の技術進歩が著しいビデオ判定(VAR)の出番です。「審判は神聖なり!」その権威を決して蔑ろにしてはならーん!つう伝統が根強く残っていた角界でもかなーり前からヴィデオ判定が導入されてたし、野球ではメジャーリーグは既に常識、日本でも取り入れられるようになりました。高校野球はどーなのかな?ビデオを導入するお金が無いから、未だ審判は神聖のままなのかな?ま、この世には不条理というものがあるのだ!との、最初の洗礼になるケースも多々あるように思います。ハレハレ

 ワールドカップサッカーでもVARというのが取り入れられて、一部で勝敗がひっくり帰ったりして、悲喜交々。ハンドとかいう連続体に関しては、何処までが肩でどこからが腕なのかという微妙な判定も出てきます。故意か偶然かで、レッドかイエロー、はたまた単なるファールかというのも、機械じゃできない微妙な判定です。その内にAI判定が導入されてくれば、こういう微妙なのも機械に委ねられるかも。体操やフィギュアなどの採点競技もAIが判断できるようになるかもね。フフ

 こう見てくると、完全なる公正でスポーツがスッキリと観戦できるからいいのだというのと、はたまた無味乾燥で人間的ぢゃないからつまらない、というのに分かれそうですね。全き公正の社会とは、目指すものであるが、到達不可能な気もする。公正さの基準というのが、各人の中で微妙にズレているような気もしないことは無い。ハレハレ

7月6日(月)風の記憶。

 終日曇り夕方から雨。21.3℃~27.1℃、63%。夏日なり。

 

 風の記憶:

 風は直接目には見えねど、他のものに与える影響で、間接的にその存在を感じることができます。先ずは初夏の真っ白な雲が流れて行く姿。パリのマロニエの花咲く頃の空は、まるで高原のようにとても綺麗でした。夏は涼しげに風鈴を鳴らす微風、残暑の頃は、ススキの穂を揺らす秋風が待ち遠しいですね。これは秋風が立つなどと、熱し切った恋愛感情に飽きが忍び寄る比喩にも使われます。木枯らしが梢をビュービューと鳴らす寂寞たる音も印象に残ります。強風に乗って乱舞するカモメの群れはとても楽しそう。
文学では、どっどど、どどうとやって来て、風のように去っていく又三郎や、嵐が丘をビュービューと吹き抜けるヒースクリフとキャサリンの慟哭の風、などたくさん出てきます。和歌でも風が主題の歌がいくつもありますね。

 わが宿のいささ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕べかも(大友家持)

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)

 

7月5日(日)多ければいいのか?

 終日曇り時どきぽつぽつ。22.0℃~26.9℃、67%。1400歩。蒸し暑い夏日なり。

 

 人類とは:絶滅の危機を跳ね返したる歴史あり。

 人類(ホモサピエンス)は他の生物種から見ると、遺伝子の(バラツキの)幅が極めて狭い(0.1%以下)とゆわれてまふ。こりは何故か?約7万年前のスマトラ島火山の大噴火によって、寒冷気候となり全人類が1万人ほどに減ってしまったためとゆわれてまふ。殆んど絶滅寸前ですね。そしてこの時に生き残ったのは、ネアンデルタール人から寒冷対応の遺伝子を受け取った者だけだそーです。で、当のネアンデルタール人はホモサピエンスの所為で滅んでしもたと。正にネアンデルタール人の遺伝子を受け取ったホモサピエンスの女性は、現生人類のイヴと言えるでしょう。

 その後、人類は順調に人口を増やして、約1万年前には800万人くらい、約3000年前には8000万人くらいの規模に達しました。それでも現在の人類規模の1%位ですね。如何に現在の人口規模が過大かっつうことが分かるでしょう。中国などは、かなーリ前から一人っ子政策などで人口減少を図っておりましたが、現在の日本は産めよ増やせよの大号令もあればこそ、一向に人口が増えないのは自然の摂理。徒に人口増大を以って大国と成すのは、時代錯誤の偏見にして国策を誤る大本だと思いまするが、如何?

 これらは偏に民主主義を誤解して、多数決の原理のみを信奉したる悪しき理解に依るものと愚考致しまする。人多ければ、少数意見は無視して、政策を推し進める強者の論理。これひいては、弱者や少数民族を圧迫する愚考の大本なり。近年の日本が、ますますこのような考えに陥りやすいと、まことに心配です。現在の日本は、役に立たない者はいらないという、ナチスの思想に今一歩のところまで行っているのではあるまいか?とか人類から現生日本人にまで話が反れましたが、人口規模よりも、一人一人の生き甲斐としやわせを追求してほすいものだと、こころから願い上げ奉りまするぅ。ナムナム

7月4日(土)正常性バイアスは何故掛かるのか?

 終日薄曇り時どき薄晴れ。20.7℃~27.6℃、67%。5600歩。蒸し暑い夏日なり。

 

 バイアスとは:

 これは思い込みの生物@人間には、必ず付随する特質ですぅ。そもそもバイアスの掛かっていない正常値というもの自体がバイアスなんですから、何をか況や。どちらかに偏っているという言明には、原点つうか中心値を必要としまふ。すかすこの原点自体にバイアスが掛かっているとしたら、なんとしょう?

 かようにバイアス自体を考察の対象にしたれば、おバカな人間つうものはドツボに嵌ってしまうんす。でも、そのときの社会常識とか、文明の中心値とか、バイオロジカルな要請によるバイアスつうのは確かにあります。似非客観的な主観性といってもいいのかな?

 例えば、正常性バイアスなんつうものが、災害のたびに出てきます。日常を生きている我々は、いつもオドオドと生活するわけにはいかんから、このままの生活が永続するものと観じて、楽しく生きております。そこに偶々この安逸を擾乱するイベントが発生したとする。その時に、自然に生きてる生活人は余り異常を極端に認識せず、慌てませんのや。こりが正常性バイアスです。

 日常の安逸を取るか、非常時の生き残りを取るのか?・・・こりは極めて困難な選択ですね。でも進化的に見ると、豪胆不敵な生き方よりも、キョロキョロそわそわしている生き方の方が、生存確率は極めて大きいと思われます。ですから、大災害の時には直ちに正常モードを捨てて、緊急事態即応モードに切り替えるほうがいいでしょう。

 でも、これが恥ずかしかったり、慌てちゃいかーんと思たり、あるいは幼稚園以来の教育で、秩序維持行動を刷り込まれていたりして、正常バイアスからはなかなか抜け出せないというのが東アジア文化圏の特徴でもありまふ。災害時は「てんでんこ」!ルールも秩序もあればこそ、各自自由に最善の対応を取るに如かずと。吾輩のように、常時小さなルール違反を積み重ね、正常バイアスに穴を開けておいた方が、災害時に生き残る確率が増えるのかも?ま、こりは諸君の判断次第のことゆえ、特に強制はしませんが。どもども。