4月27日(土)人は自分の殻に合わせてものごとを理解するのか?

 終日曇り。17.7℃~23.2℃、56%。季節並みに、最高気温の20℃超えが定着してきますただ。

 

 理解の幅、理解の速度、理解の遠近とは:

 生物学的にも、心理学的にも、理解というのは自分が行うものであるからして、自分に合わせざるを得ません。

 例えば知覚は変化しか感じれません。この世界に変化が無くて、すべてが均等なら、生物に知覚は生じなかったでしょう。(その前に生物自体が発生しませんが。)

 そして知覚するその変化の速さは生物学的に決まっています。ある範囲の変化の速さしか知覚できません。ものすごくゆっくりした地殻移動なんかは知覚できないし、超高速で羽ばたくハチドリの羽根の動きも知覚できません。ある生物に必要で適した速度しか、生物学的に認識できません。感覚器も脳もそれ以外に追随できないからです。

 心理学的には、自分の経験に引き寄せてものごとを理解しようと試みます。自分の経験したことがないこと(読書や学習を含む)は、想像しようがないからです。いつも悪いことばっかし考えている人は、周囲の人間にもそれを投影して、いつも警戒しています。逆に性善説な人は、周りの人も善人だと思て行動するから、それが影響して周囲に善人が増えたりします。

 こう考えると、人間の理解や認識は、自分の殻(考え、先入観、偏見、思い込み、決めつけ、などなど)に合わせて行っているとしか思えませんね。自分の認識以外に山のように違った世界があるはずなのに、それが分からないんです。でも、想像力で、ごくたまにその殻を拡げることは可能かな?

 例えば、この巨大な宇宙が実は上の世界の砂粒の中だったり、この世界の素粒子の中に下の世界の全宇宙が入っていたり。この連鎖は上も下も限りがありません。すなわち無限連鎖になりまふ。今、自分がいるこの世界は、たまたまこの無限連鎖の今ここにいるだけだと、想像でけまふ。

 時間も空間も我々の認知の枠組みであーる、という見方もありまふが、そのレンジは無限連鎖の中のたまたまの一つに過ぎないとすれば、そりは正に夢幻の世界ではあるまいか。ムニャムニャ