5月6日(月)蛙始鳴。意識の生成と消滅とは。

 薄曇りのち本曇り。19.1℃~23.6℃、62%。3300歩。南寄りの風やや強し。気温の差が小さい夏日。 

 むかし日野の方に住んでた時は、周りが田んぼでカエルの鳴き声に囲まれてたなぁ♪都会は季節の鳴き声が極めて少ないですぅ。

 

 人生とは:

 仏教の公案(修行のために集中して考える題目)の一つに「父母が生まれる前の自分とは一体なんだろう?」というのがありまふ。父母がまだこの世界にいないのに、自分がこの世界にいるわけがないじゃーん!と思いますよね。

 自分とは、ある時に気が付いたら、この世界に居たという存在なんすね。すなわちそれ以前は「無」なんすよ。ナッシングー!「気づいたら存在してた」という偶発的な存在、それが「私」です。何か意図して存在させられたものではあーりまへん。

 でも、一端存在させられてしもたら、「この世界に存在しないのは嫌だ嫌だ!」つうのも生物としての本性です。なぜかはわっかりませんが、身体性から来る本能なんでしょうね。元々気が付いたらこの世界に居たという存在なんすから、論理的に考えてもこの世界にしがみ付く論拠はあーりまへん。

 とは言え、この世界を興味深いものとして楽しむココロも与えられてるから、夢中で駆け出し、駆け通しまふ。何も考えなければ結構楽しく暮らせるんすね。子供の頃ほどではありませんが、次々に知らなかった新しい世界、新しいことが開示されますから。

 そしてこの世界で「見るべき程の事をば見つ」という心境になったら、この世界にはもう未練はあーりまへん。でもそりは、自分の好奇心が枯渇したことを示しているのかも?偶然この世界に湧いた生物に、この世界の全てを見て、解るなんてあーりえませーん!

 そしてある日、ある時に、自分の認識主観がプッツンと途切れて、人はまた原初の「無」の世界に帰って行くんです。「突然気が付いたらいなくなってた!」つうような生まれたときと同じような瞬間はありません。これはこれで、なにかスッキリした感じがしませんか?生きてる時の想像に過ぎませんが。

 最近、小難しいことばっかし考えてまふ。小人閑居して不善を為す。かな?。アハハハ