7月15日(木)盆・中元。「自分」という概念はなんでできたんやろか?かなーり無益な考察。

 もくもく雲の多い晴れ、ときどき曇り。23.0℃~31.1℃、61%。すでに入道雲の夏空。

 ワクチン2回目打っただすぅ。今のところ打った腕が少し痛いくらいで大した副反応なーし。でも、今日は早く休もう。お盆は先祖が家に帰ってくるのかな?

 

 しむと何処へ逝くのか?

 方角的には西の方へいくらすい。上か下かっつうと上の方のイメージだす。でも地球は丸いから西も東もナインですぅ。上は天国、下が地獄と言ったって、上には宇宙空間があり下にはマグマがあるだけですぅ。。。とか物理主義にどっぷり浸ると詰まらない死生観しか浮かびません。

 そもそも死んだあとは誰も分からないのだから、考えるだけムダムダYO-!つうのがカントとかのおつむのエエ人々の標準的な考えだすぅ。でもおつむの良くない有象無象の衆生は、何らかのイメージを持ちたいと渇望しちょりもす。禅問答で言へば、「父母が生まれる前に自己はあるんか?」なんて公案出されてオタオタすると、「かーっつ!」とかおこられます。

 この公案をマジで考えると、父母それそれがその父母が生まれる前に遡るから、結局無限後退となりて、生命の大本の化学物質とかになって、はて?そりはなんじゃらほい???となるんが、こりも物理主義の浅はかさ!ショボーン だから、一気に神様にしがみついちゃった方が、早く救われるのは必定!ども、物理主義つうのはプラセボみたいなもんで、一度知ってしまうと神の霊験は落ちてしまうんすよ。コワイデスネ?

 そがいに遡らなくても、父母がたまたま出会って自分が生まれ落ちたのは、かなーり偶然だと分かるし、自分が受精卵として出来る前は、自己としては無であることは容易に推測できます。自意識中の自己を遡っても、最初に物心がつく前の記憶はなーんもナインすから、これまた無なんすね?

 もともと無なのなら、いずくんぞ氏を恐れたまうのか?つうところが公案の落としどころかな?そもそも市を怖がるのは、自分というのんが在るからであって、その自分がもともと無なのなら恐れる理由も必要もナインだと。・・・無理やり言い聞かせても、怖いものはやっぱし恐いというのんは、先天的に組み込まれたものの如し。

 そもそも生命が延々と続いてきたのは、続いて行こうという盲目的な意思が進化に組み込まれてしもた所為であって、それが、続くと言う仕組みに反映されて、続いてきたんであーる。しかしてその続く仕組みの大本は何か?それが「自己」の創作ってなことになって、他者と自己の分別が鍵になるんであーる。他者なら続こうが続くまいが、まったく関心はなーい。自己だからこそずーっと続いていたいという、盲目的な意思が発動されるんであーる。

 と、縷々くどくどと考察してきたが、「自分」という概念が、自己と他者の境界が、続くと言う意思すなわちしみたくないという動機になっているんではアルマイト?つう変な自我論ですたあああ!ザンネン