10月8日(木)<寒露>朝夕に寒気を感じ、秋も深まる。

 快晴。13℃〜24℃、38%。北寄りの風極めて強し。ビュービュー





 指示と目的の連鎖:道具

 道具ってのも人類を特徴づける一つであーる。勿論おサルも石で硬い木の実を割ったりしますけど、それを系統的に発達させて、原子炉や宇宙船にまで発達させましただ。道具っつうのは「〜するためにあるんだ」という目的がありまふ。すかす、その目的は上位の段階ではまた手段になるんだすぅ。例えば、金槌は釘を打つためにある→釘は板を固定するために→板は舟をつくるために→船は物を運ぶために・・・という風に、道具は次々と道具を指し示しながら連関するんであーる。

 そして、あらゆる道具は、道具全体性へと収斂するんですぅ。それは人間が存在するためなんであーる!例えば、ナイフで鉛筆を削ろうとする場合に、その材料の強度や、梃子などの物理学の原理、はたまた筋肉収縮の生理学など、知識や理論、認識作用などは必要ナインであーる。それらの知識や理論に先立って、生き生きとしなやかに鉛筆を削る手順は、常にすでに子供達には備わってるんですぅ。

 この先行的な了解が世界を構成してるんだっちゅうのが、ハイデガーの世界観であって、冷静な認識主観が客体を分析して客観世界が成り立つんではなーい!つうのが世界内存在なのであると。すなわち、道具を媒介とした意義の連関がこの世界を形作っていると。我々は存在したい→嵐をやり過ごしたい→避難所を作りたい→板を固定したい→釘を打ちたい→金づちがほすい、つうような意義連関が人間世界の構造をなすと。

 そして物理的な空間よりか、実感的な空間論を展開する。こりは心理距離つうか、関心の距離つうか、はたまた有用性の距離のほうが実在的であると。例えば、眼鏡とか入れ歯とかは身体に極めて近いけど、それが完全にかだらに馴染んでいれば、それを意識することはない。すなわち遠くにあると。すかす、いったん不具合があれば、いつもそれを気にしていて、極めて近くになると。遠ざかれば有意義性は増し近づくと、またいつも気にして近くにあれば、有用性は遠ざかると。これを遠近の相反性と言ひまふ。

 このように物理的な空間を離れた、道具的空間では空間それ自体は「拡がり」と言ふよりも、意義や指示あるいは有用性の連関の中にあるのであーる。この、目的ー手段連関の有意義性こそが、ナチズムに悪用され有意義な民族と無意味な民族を峻別する根拠になったんではアルマイト

 ま、客観物理世界から逆転した発想はそれなりにコペルニクス的転回ではあったが、またそこには大きなリスクも存在するんであーる。(玉虫の存在論より)