9月29日(土)ようやくスマフォについて、寝言を言えるくらいになったかな?

 曇り後しょぼ降る雨。18℃〜21℃、87%。なんか今年は秋の方が梅雨より雨がふるふる。またまた猛烈な颱風の足音。不気味!





 ツールと文化:

 人は道具を発明し、その道具によって人自体も変わります。乃ち相互に影響し合う関係なんすね。そして道具と言うのは言語とも関係していると言ふ。言語も思考を伝える道具と言えないこたーあーりまへん。道具の作成や伝搬に、言語が大きな役割を果たしたとする推論は、大いに納得できます。また集団が大きくないと道具の進歩にも限度があります。どこかで石を使って固い木の実を割る仕草が偶然起きたとしても、集団が小さいと他へは広がりません。そう、高崎山のおサルさんの知恵が他の集団に伝わらないようなもんですぅ。そして集団の大きさは脳の大きさに比例するんですぅ。

 つうような一般的な概説はさておき、昨今のスマフォ全盛の中において、人々の行動はどのように変化するのか?こりは極めておもすろい設問だす。幼児の頃からスマフォに慣れ親しんだ人類は、一体どのような文化を形作るのか?極めて素敵に興味深いですねィ。その兆候は、徐々に現れ始めているんですぅ。

 現に昨今の大学生はスマフォで卒論を書くと言う。スマフォの裏には膨大な知識ベースがあるから、さっと調べてさっと書くと。その親指の能力や恐るべし!電車内でも町角でも、自転車に乗ってても、車を運転してても、決してスマフォから目を離さない(離せない?)学生や子供たちが増えてます。何か分からないことがあると、自分でうんうんいって考えもせず、さっとスマフォでググってさっと答えを求めます。

 すかす、その知識はみんな断片的で、決して体系化されません。ま、モノホンの本でもじっくり読めば、少しは体系化されるんすが、それもあんまししなくなったと言ふ。体系的に事物をとらまえる習慣の欠如は、局所的な論理(いわゆる屁理屈?)に一見強くなるように見えます。すかす、そりは大局的に見れば矛盾を包含していることが多いのです。無茶苦茶なネトウヨ論理がソーリにまで影響を与える所以ですぅ。

 しかして世界は、受動的で他動的な短期的視野の似非知恵で満ち溢れることになります。ま、スマフォの負の側面ばっかし論(あげつら)いましたが、直観的でアジャイルな側面の分析もいつかやるかもしんないですぅ。どんもどんも。