9月30日(日)長月は短かった、一発勝負の歴史とは。

 曇りのち雨。17℃〜24℃、89%。猛烈颱風が列島を縦断中!首都圏では夜8時以降のJR在来線が運休になるんだと。サービス業の従業員の足の確保は私鉄任せか?

 颱風と言うと、その目の周りの強烈な上昇気流が一気に1万メートルの高空まで吹き上げる、という垂直方向のイメージをします。が、ホントは平たい円盤みたいなものなんすね。厚さ高々10km、その直径500kmくらいあるから、縮尺すると1cmの厚さで直径50cmくらいの円盤がクルクルと動いていくんですぅ。



 そもそも相手をバカにしては、話しは始まらない:

 相手をどーにかして理解しようとするココロが大切だとは思えども、余りに馬鹿な言説に接すると、ついバカにしてしまいます。どないせーちゅうんじゃあああああああ!それでも、その状況を相対化せねば、話しは進みません。話が進まないと、それは力に頼ることになるんすねぇ。そしてそのうち、力だけが世界の実相だあああ!と切れたりするんですぅ。アヤヤ




 現代の科挙の制とは:

 偏差値を極端に嫌う思考がありまふ。そりは人の能力を単一基準で測るからです。人にはイロエロな能力があるのに、ペーパーテストの正解を短時間で、できるだけ多く答えるという能力だけで測ります。ま、これはこれで一つの能力ではありますが、人間の能力をそんなに限定していいものかどーか、まことに疑問に存じます。しかも18歳前後の偶々の成績が、場合によっては生涯付き纏うと言ふ。こりは不条理じゃ不条理じゃ!という論拠ですね。こりは例えば身体能力とかに例えると良く理解できます。スポーツにも色んなジャンルがあって、その能力の判定方法は種々雑多ですぅ。おつむの能力に関してはなぜ単一基準なのかと。

 すかす、こりは入学選考だけではあらずして、イロエロな国家資格にも付随している選考方法でやんすよ。弁護士や医師など難関とゆわれている国家資格を始めほとんどの資格は机上テストの成績で足きりされます。それらの社会システムを放置して、ただ単に入学選考だけをdisってもイイものかどーか?そもそも試験なんつうものは全て廃止して、通常業務のインターンを通して選別するってのが、真にその業務に適しているのかどーかが判別できるのではあるまいか。適していないと本人もベテランも分かれば、他の分野への転身をしやすい制度にすると。こういうのが理想的だとは思いまするが、こんな手間を惜しんで単純選考に徹するのがシンプル化の害の一つですぅ。

 因みに高齢者の運転免許返上が社会的に進められてますが、こりは弁護士、医師をはじめあらゆる免許に共通する課題にて、全ての免許に敷衍せねば、おえんぞなもし。既得権のように生涯免許にしているが、ボケた弁護士や医師は社会の害以外の何物でもあーりまへん。





 雑感:

 しかし、恋愛ほど自他の見方の違いがあるものは無いですねぇ。自分が死ぬの生きるのと世界全体の価値を賭けてるのと違って、傍から見ると単なる喜劇だったとか。昨日、昔のひとの夢を見て、胸がきゅんとしてもうたですよ。たぶん今では単なるおばんになってもうとるのにねぇ。人間の生きる意味って、食べる美味しさと、愛する人、そして知る喜びだけなんかよと。あと、群れる生物としては承認欲求とかもあるな。こりは名誉欲にも通じると。自然な欲求に我が身を任せたら、たぶん食欲ってのが一番根源的なのだろうと思いまふ。だって、愛する愛されるってあまりにも不条理ですから。タハハ