10月19日(日)秋日和は、自然に接する日なり

 白っぽい秋晴れ。14℃〜22℃、48%。あおあかしろくろ、青朱白玄って季節には色がある。


 ちょっつ荒川の方へエビを取りに行った、ホウネンエビっつう逆さに泳ぐ変なエビさん。水溜りで6匹みっけ♪これでしばらく水槽が賑やかになると。






 The Stream of Consciousness:意識の流れ

 ウィリアム・ジェイムズは意識を、変化する流れであるとした。そして物理的かつ微分的な瞬間の現在を否定し、心理的な現在を「見かけの現在(specious present)」として再定義したのであーる。見かけの現在とは、一定の幅がある持続で、その始まりも終わりも一瞬で把握される時間の最小構成単位なんであーる。意識における量子論の始まりでR!偉そうモードなんででアール(R)。

 この極めてスピーシャスな現在の導入によって、現在に幅ができ、音の知覚や音楽の成り立ちがある程度説明でけるようになったんでR。認識は変化の知覚であり、その変化はある最小単位のコンテンツを纏めて知覚することで成り立つんでR。(もともと知覚は音波、光波、電波などの波すなわち振動を介して感知されるですから、当然ある幅がないと認識でけないんでR。)

 しかして、その時間の認知の幅はどれくらいのものであろうかな?(「の」連送) 一説には20msくらいという説もありまふが、ヒトは2万ヘルツくらいの音波を感じれるから0.05msまでは聞けるのかな?いずれにせよある幅があるのは確か。これらは当然、脳内での神経細胞による情報処理速度に依存していると思われるが、「現在」を認識することそのものが、脳内で作られたものであると言ふ実験は多々あるんすね。

 すなわち、この世界のリアリティってもんは、すべて脳が作り出したものなんであーる!真のリアリティも偽のリアリティもすべて脳内現実なのれすぅ。ホント?


 実は、仏教経典を詳しく調べた人が言ふには、唯識教のなかに、この意識の流れと時間の本質が事細かく記述している箇所があるらすいんだが、わだすは習わぬ教は読めません。どもども。










 マスコミさん、あんたも好きねぇ〜♪

 まだ「政治と金」なんてやってるよ。ぷ  その根本構造を捉えずして、徒に表面にこぼれ出てくる残滓のみを追うパパラッチ。これがマスコミの本質なのれすねィ。(ま、東西を問わずですが) しかして、彼らは自らを振り返って愧じるかっつうと、そんなことはまったくなーし!むしろ社会の正義を代行していると自負してるんすよ。これらを社会の害虫、ノミ・ダニ・ケジラミと言わずして何と言ふ!!!(怒)