6月23日(土)こころの痛みもかだらの痛みも、そもそも同源じゃい!

 曇りがちで涼しい日。

 今日はいろいろと行ってきた。東京都現代美術館から渋谷108へ、原宿、表参道から代々木へ抜け新宿まで。ギャラリー巡り。摩天楼の上で食事して帰宅、また疲れっしも。グリーンカーテンの水遣り忘れてた。少し萎び気味。タハ




 言葉っつうのは人間の関心事を如実に露わにするもので、関心の高いものほど語彙が多いという原理は良く知られているところである。一方、幸福のパターンは定型化しているが、不幸は人の数だけ多様であるという経験則もありまふ。同様に快感のアスペクトは少ないが、痛みのバラエティは多いです。やはし負の感覚のほうが生き残る上で大切なのかなぁ?
 ま、しかし苦痛と快感は裏腹つうのはSMを見てれば分かるよね。苦痛を減らせば快感も減って人生は薄っぺらくなるっつうのは薬物中毒者が回復後の実感。心の痛みをかだらの痛みで解除しようって言ふリスカも、解除の慣れでエスカレートすると。
 痛み研究家の言によれば、大きく分ければ2タイプになると。1.激痛(知覚の痛み)、2、慢性の疼痛(うずき)。前者は急性で、手当可能であるが、後者は幻肢痛に似た記憶の痛みで心理治療を要するとか。「痛いのは生きてる証拠で、それを楽しむくらいになれば自ずから霧散する」てな言説は気楽なりや否や!う〜〜〜ん、心頭を滅却すれば疼痛もまた楽し、つう心境に至れるものかどーか。疑問深まる。痛みも哲学とおんなじで、100人いれば100の痛みがあるわけさ。つうことは痛みこそ人間也、といへるかもねィ。「痛みはズレに始まり、ズレで収まる!」つう理論もありまふ。こうあるべきという身体感覚とのズレが幻肢痛。これが慢性痛との類似あり。しかしてこのズレを感じ続けると「覚醒」して、記憶痛の夢(幻肢痛)から覚めると。
 心的な現象は色々な分野に写像でけますねぇ。んで麻酔つうのは近代医術の一大発見ですが、昔は呪術とか催眠でこれを行っていたのれす。ブッシツ現象(薬物)も心理現象(催眠)もその効果においては、脳内にて相同となりエンドルフィン効果に繋がるのですぅ。
 すなわち、物質効果も心理効果も最終的にはまったく同じ作用を為すことになります。痛みからの解放って功利的な目的も、結局最後は死して終わるっつうのは全生物共通ですから敢えて甘受しませうね。どもども。