5月2日(木)一人はみんなのために、みんなは一人のために♪

 明け方まで小雨、もくもく雲の曇り時々晴れ、のち薄い雲の掛かった白っぽい晴れ。10.8℃~21.7℃、37%。8700歩。夏日。北東風やや強し。

 日本橋方面に進出す。ニンベンで本枯れ鰹節と濃い味だしを購入し、ブール・アンジェでパンを買う。三越の屋上でパンを食す。7Fではイタリアフェアをやってますた。6階画廊で写実画と日本画を鑑賞す。

 

 コミュニティとコモンとは:

 たっちゃんイイことゆってるぅ♪(ヌートバー選手の方ぢゃなくってウッチー樹さんの方だすぅ。)「社会の豊かさは、その富の量(GDP?)や金持ちの数ではなくして、いかに公共財(コモン)が富んでいるかであーる!」だってYOー。

 コモンというのは元々共有地のことで、コミュニティーのみんなが使える土地のことだったんすね。それが発展して今では公共の場所や公共の施設、公共の仕組み、公共の制度、公共の富み、にまで拡大解釈されちょりもす。

 皆から集めた公金(税金?)も公共財と言えるでしょう。その公共財を切り取って私有財産に付け替える仕草を公金中抜きと言ふ。この中抜きに勤しんでいるのが官民の富んだ顔してるとんだ貧乏人だと一喝する。実際に政府の施策やあらゆるイヴェント絡んでいるのがこの貧乏くさい「中抜き」なんすね。タハハハ

 でわ、どーゆー社会が貧乏くさくないのんか?そりは例えお金は無くても、「他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する」社会なんだってよー!

 そして彼の主張のキモはここに有る!・・・富者強者にたいして、「私財を供出しろっ!私権の制限を受け入れろっ!」とは言わないで、まずわたしが「公共のために身を削る」という決心ですね。こりが大切なんだと。前者は権威主義官僚主義に通じるが、後者は自らが参加する究極の自己責任!人生も社会も、自分がやらなくて誰がやるんじゃあああ!と、傍観者的かつ評論家的立場からの脱出表明からすべては始まるんだと。

 わだすの感性も、この考え方に極めて素敵に同感しますのだっ!今の社会はもう貧乏くさくて貧乏くさくて、やり切れまへん。汚物にたかる蝿のように、公金にたかっている輩(官民とも)を見るにつけ、日本はいつからこんなに貧乏くさくなったと、常々感じて居たのですが、これで納得!ぶし(鰹節?)は食わねど味が出る♪かな?

 だがすかす、The Tragedy of the Commons(共有地の悲劇)っつうのもあってね。こりはコミュニティの民度がかなーり高くないと、みんなで共有地(共有の富)を食いつぶしてしまい、再生産ができずにコモンは枯渇してしまいまふ。

 公金チューチューするようなことはせず、逆に私財を投じて公共財を富ませるようなコミュニティなら、こんな悲劇は起きないと思いますけど。多分ね?かもね?・・・ちとこりは人間性を理想化し過ぎかな?アハハハハ