5月1日(水)皐月なり♪八十八夜。個としては、絶対続かないのが生命であーる。

 朝の内曇り、昼前から雨。21.3℃~11.8℃、71%。11800歩。気温は単調減少で夕方から結構さぶいです。

 知人を送って、久しぶりにずどうしゃで羽田まで行く。ターミナルが三つもあって付近で迷ってぐるぐる回ってしもた。レストランや土産物屋など店舗がたくさん入っていて、歩き回ってちゅかりた。銀座発祥の洋食屋でハンバーグ定食を食す。旨し。

 

 

 絶対とは:

 絶対とは相対を超越するものである。一切の条件を含まない真理や、何ものにも拘束されずそれ自身で自立する存在(神?)をいう。だから絶対とは頭の中にしかナインですね。

 日が西から上がることは絶対に無い!とか人間が150歳まで生きることは絶対に無い、というのは経験則に過ぎません。地磁気だって反転することがあるくらいですから、今後地球の自転が反転したら日は西から上って東に沈みまふ。アリャリャ

 人間だって今後の科学技術の発展で200歳まで生きれるかも知れませんね。だからこのばやいも絶対ではあーりまへん。だがしかし、脳内でイロエロ考えても、殆どの人間は100歳までにしむでしょう。110歳以上生きる確率は殆どゼロ(1/100万)となりまふ。今のところ、120歳が生存の限度と言われているから、150歳まで生きる人は実用的絶対にいないと言えるのかな?

 生命つうのは流れ来り流れ去る大河のようなものですから、個々は絶えず入れ替わりつつ全体は続いていくものなんすね。つうことで続くことだけに意味があるんかな?でも、「続いたって何ぼのもんじゃい!」という見方もあるから、おもすろい♪

 相対的な偶然に左右される生命の乗り物に、乗ってはみたがハイさようなら、というのが生きとし生きる個体の宿命(種も絶滅しまふ)でありながら、生命自体は続いて行くという不思議さに、逆らうべく脳内の絶対信仰ができたと言えるのかな?ムニャムニャ


 絶対矛盾とか絶対時間とか絶対無とか、キタロー哲学には絶対が多用されているが、これらは全て脳内実在といってもエエでしょう。つうことで変転極まりない現実世界には絶対なんてぜったい無いんだもんね~~~。ヘロヘロ