4月10日(日)現象学入門書を立ち読み

 晴れのち曇り。12℃〜22℃、54%。暖か。 

 久しぶりに公園にゆったら、既に花壇は色とりどりの草花で溢れてました。木蓮のピンクの花絨毯が綺麗ですぅ♪





 Zur Sache selbst:事象そのものへ!

 これは現象学の基本命題です。現実をどう捉えるのか?と言う時に、我々は客観的すなわち第三者のメタな視点から出発しがちです。しかしそれは既に抽象化され作られた現実で認識の始原とは言えません。その大本は、直接経験として五感から主観的に捉えるものしかない筈。我々は主観的な光景(表象?)の外に出て、その実在を確証することはできないから、派生的な客観性を、より根源的である主観的光景に引き戻さねばならない。これを現象学的「還元」と言ふ。

 我々は日常的な生活の中で、諸事物(例えば月とか)をごく自然に光景(表象?)の外で確認できるという思い込みを持っている。これをフッサールは自然的態度と呼ぶ。このような態度にストップをかけ(判断停止@エポケー)、表象(光景)そのものへ立ち返ることが還元なんであーる。

 しかして自然的態度はどーしてできるのか?それは表象(光景)の内部で「構成」されるのである。この構成は空想上の対象(河童など)だけでなく、実在する知覚対象もまた構成されたものである。例えば正方形は我々の光景(知覚)に、見る角度によって平行四辺形や台形として現出する。しかし我々の主観的「構成」によって正方形と認識されるのである。このような「構成」は気付かないうちに、あらゆる対象に適用されているのだすぅ。これを諸現出の感覚・体験を突破して、その向こうに現出者(頭の中で構成したもの)を知覚・経験していると言ふ。ここで感覚と知覚、体験と経験の哲学的語感差に注意を要する。

 以上のことから、「現象」は諸現出と現出者の二義性を持つこととなる。現象は、実際はイロエロな見え方(諸現出)があるが、それらを媒介して(突破して)現出者が構成され、知覚されるという構造を本質的に持っている。この媒介・突破の作用を「志向性」と言ふ。現象=直接経験=志向的体験ということになる。またこの志向的体験は現象学的「意識」ということも可能であろう。すなわち「意識」は諸現出と現出者の関係がそこで生じる志向的体験の場なんであーる!



 いじょ、現象、表象、還元、エポケー、構成、現出、志向性などの現象学用語を簡単かつ分かりにくく解説してみますたあ〜!どもども。(「これが現象学だぁ」(谷徹)より)