12月2日(水)私は時間の湧出そのものなんであーる

 曇り。8℃〜11℃、66%。北風がちべたい一日。 久しぶりにプールでひと泳ぎ。







 今とは:

 過ぎ去った時間は過去、未だに来ていない時間は未来だから、現在はそれに挟まれた時間。でも厳密に言えば、どんなに微小過去でも過去、どんなに微小未来も未来とすれば、現在には幅が無いから「今」は無いことになると。一方向にしか動かない時の界面が今現在なんだすぅ。すかす人間の内的時間意識はこれじゃあスカスカで何も把握でけないから、今はある幅をもたないといけません。これは生理的には10ms〜20msくらいだと言われてます。しかし心理的には過ぎ去った知覚の記憶を伴った過去把持つうのと、少し先を予測する未来予持とを合わせて今と言ふ。ボール投げや音楽を聴くときを想像すると分かりやすいですぅ。「今」には過去と未来双方向に幅がなくてはなりません。そして時間認識の一番底には、絶対的意識流というのがあって、時を一方向に進めているんでやんす。脳の障害で、この意識流が壊れると、因果関係がシッチャカめっちゃかのガイキチになっちまうんだすぅ。怖いですねぇ。いじょ。(フッサールの時間意識の現象学より)・・・脳がぶっ壊れると、時間も空間も溶けて流れて消えちゃうんだから、カントのいうように時空は人間の認識形式であーる!つうのはホントのようなキモスる。・・・ん?今なんか言った?





 選挙に負けた前知事が辞める間際に放ったくっさい最後っ屁が有効かどーかの裁判が始まったんだと。極めてはんずるかすいことだすぅ。