12月1日(火)早くも師走に突入す アセアセ

 快晴!6℃〜16℃、49%。真っ青な空にイチョウの真っ黄色が映える♪高空を飛んでいるジェット機がすぐそばに見えます。





 言葉?想像?経験? → 生命

 言葉がないと思考はできないのか? はたまた言葉が無くても考えることはでけるのか? 既に言葉を持ってしまった人間は、この問題に解を与えれるのかどーかっ! 出来るような気もするし、絶対無理なような気もする。 経験してないことを経験できるのか?つう語義矛盾な設問もありえまふ。ショボーン

 例えば、超音波で瞬時に周囲の状況を把握して、真っ暗闇で虫を捉える蝙蝠の感覚は一体どのようなものか?そーぞーすることもできませんぞっと。例えば、視覚も聴覚も不自由なヘレンケラーさんは、いったいどんな夢をみるのか?真っ赤な夕日や、抜けるような青空、はたまたひたぶるに物哀しいヴィオロンのため息を想像することができるのか?

 つうことから敷衍すると、我々は自分の経験と言う檻から抜け出すことは永遠にできないのではないのかな?ショボーン おんなじ人類でも他人の痛みすら実感できないもんねぇ。つうことは、我々は自分の主観からも抜けいずること叶わずつうダブルバインドに陥っていると。間主観性つったって、その大本は自分の経験だけだもんねィ。

 そいで客観的(と思える)事実に頼ると、DNAの構造や遺伝子、その発現機序などは全ての生物に共通していると言ふ。それなら外界を認識し、それに適応して生存している全ての生命は、意識を持っているとしてイイのだらうか?ぼくはそれが大雑把か精密かの差を除けば、意識は生命の本質だと思っちょりもすぅ。





 さーて、そろそろ年賀状と確定申告の準備を始めようかな?・・・って毎年思うけど、いつもギリギリなわたし。ショボーン   今年の忘年会の波を果たして乗り切れるかどーかっ! すでに肝臓をだいぶ酷使しているわたくし。ショボーン、ショボーン







 実感できる金額とは:

 年金基金、前四半期で約8兆円の損失!・・・これが職員、年金基金から8億円の横領、とかだと大問題になるのにね。ぷっ