1月21日(土)款冬華(ふきのはなさく)。ハードな問題は再帰的である。

 薄く雲の覆う寒晴れ。3.2℃~9.0℃、26%。2400歩。北の風強し。乾燥注意!

 

 リカーシヴ(再帰的)とは:

 事物の定義がそれ自体に返って来ることを言ふ。プログラミングでは、プログラムの中でそのプログラム自身を呼び出す動作を言ふ。この再帰動作は時々矛盾を孕むことがありまふ。

 分析哲学では「言語」自体の研究が重要です。が、その言語の研究を言語を以ってして行うところに再帰性が感じれまふ。堂々巡りの予感がしますね。論理学をロジックを以って研究するときにも同様の困難性を感じます。研究する対象と手段がループして収束しないかも?

 意識の問題を意識で研究するのも同じかな?意識(主観、クオリア)を意識で対象化すると、期せずしてそれは客観と化してしまいまふ。すなわち主観たる意識が客観化された主観となり、内観した本当の主観とは異なってしまうんすよ。

 これらの問題をハードプロブレムといって、普通の(普通ってなんや?)方法論では決して解けないであろうと考えられます。そこで登場するのが「絶対矛盾的自己同一」という有り難い呪文なのかな?

 おまけに意識の研究は、「意識」が拠って来る「前意識」や「無意識」が意識すらできないのですから、二重の困難性がありまふ。近年流行っている「統合情報理論(IIT)」などで意識を客観化しても、そんなのは偽の意識なんすね、ザンネン