12月20日(月)言語と哲学。

 薄い筋雲の晴れ。0.8℃~11.9℃、35%。4100歩。ゆずを買ってきた。

 

 言の葉と思考の関係について:

 哲学は言葉を使って行います。言葉による概念創造と概念分析が哲学の方法論です。ですから言葉が極めて重要な地位を占めるんですね。西洋哲学の源流はギリシャ語でした、それがラテン語に引き継がれて、主要言語として西欧の学問のリンガフランカとして使われました。

 ですからすべての哲学書ラテン語で書かれ、ラテン語で討論されました。英独仏という言語が出来てきたのは国民国家が次々と誕生したフランス革命後からとなります。言語の統一が国の統一となるからです。日本の国語も明治以降にできました。

 そして各国が各国語で哲学するようになると、各国の哲学にも特徴が出てきました。ドイツ観念論とかイギリス経験論とかフランスの実存主義や生命哲学などです。そして現在のリンガフランカは英語です。殆どすべての学問は英語で為されます。

 つうことで英語という言語を分析する分析哲学英米を中心に広がり、今世界を席巻しております。でも言語で言語を分析するというリカーシヴな構造が、哲学の広がりを抑えているということは確かです。これが哲学の自己矛盾の一つで、ヴィトジェンシュタインも一時哲学を放棄してたくらいですぅ。

 自然言語から離れて論理構造を直接記述できる概念記法もフレーゲなどにより研究されましたが、やはし大本のところに存在するリカーシヴな構造(否定的自己言及)がネックになりました。

 とはいえ神ならぬ人間が完璧などというのは恐れ多いことですから、それなりの範囲でしこしこと分析哲学は今でも哲学の主流として続いております。かな?