10月9日(日)鴻雁来(こうがんきたる)、雁が北からわたってくる頃

 午前中強雨、のち曇り、夕方少し陽ざし。25℃〜20℃〜24℃、60%。寒冷前線が通過した模様。

 マガモの番をハケーン!これからカモたちがどんどんやってくるどっと。明日は葛西臨海公園方面にゆってこよう♪




 言語による制約とは:

 言葉は思考の道具として、非常に大切なものですが、言葉にすることによって取り逃がすものもまた、多いと言えるでしょう。バラバラな個別具体から普遍性(あるいは一般性)を抽出して記号化したものが言語だからです。言葉を使う学問には、文学と哲学がありますが、果たして、その違いは有りや無しや!

 そもそも哲学とは、フィロ(愛する)ソフィー(知を)と分解できます。すなわち愛知県産なのであります。「知りたい、知りたい、何もかも知りたい!」というのが哲学の本質です。人間は自然本来として「知ることを欲する」動物なんですぅ(アリストテレス)。他の学問も知ることを本意としていますが、哲学は知り方そのものに違いがあると言えるでしょう。即ち哲学は事物の根源(WHAT?)を知りたいのですが、他の学問はどっちかっつうと、なぜ(WHY?)やどのようにして(HOW?)を知りたがります。そしてWHATの中では「存在の根本」と、それを如何にして「認識」するのかがテーマになります。その時の手段は、言語による新しい概念装置の創出となります。ですから哲学は、独学は大変難しいと言われます。言語が表象する概念が分からないと、いくら読んでもちんぷんかんぷんなんです。すかす、哲学と言えども、一端作者の手を離れた著作・論文は一つの作品ですから、あとは読者の読み方次第で、解釈や誤読は自由なんです。おれはこう読んだというのはありで、新しい誤読から哲学の新しい分野が開けることは山ほどあります。

 言語には制約がありますが、また極めて自由な生き物ですから、どう使おうと勝手なんです。卑近な例では若者言葉とかギャル言葉とか、ネットおたく用語などがありますね。いやいや業界用語というのもたくさんあるし、細分化された学会では、すぐ隣の学問でも術語が違って意思疎通に支障をきたします。多種多彩なクラスターにそれぞれ違う用語があるということは、何を意味しているのか?それはクラスター内の親密さを強調するとともに、外部に対しては閉鎖的に機能します。内部の結束と排外性の障壁という2重の役割を言語が担っている訳でやんすよ。これはやはし、人間性の根本を抽象したことにならんのかな?すなわち人間性そのものを記号化したものが言語であろうかと。真田丸にて、けふはこれにて。(この項、続くかも。)