7月13日(木)旧梅雨明け。意識のハードプロブレム。

 終日ぬるい曇り。24.2℃~30.3℃、55%。5400歩。気温は大分下がったが湿度が高い。ぎりぎり真夏日

 

 意識の閉鎖性とは:内にも外にも動きがとれませーん。

 認知的閉鎖(cognitive closure)という概念がある。心は内観的感知でしか分からない。しかし心を生み出す脳機能はいくら内観しても分からない(網膜が自分では検知できないように、脳内の機序はいくら内観しても分からない)。これを意識は内側に閉じていると言ふ。

 一方、他人の意識は分からない。その言動によって辛うじて推察できるだけである。これを意識は外側に閉じていると言ふ。どんなに頑張っても他人の痛みは分からないし、他人が感じている実態は分からない。

 心身問題の解決には、内的に感知できかつ外的に観察可能な特性が必要である。すかすこりは前述したように、内外の閉鎖により不可能である。こりを意識のハードプロブレムと称する。

 我々にできることは、内的感知を言語や絵画、発声などにより外部に取り出した表象を脳の外観的観察と結びつける疑似心身問題へのアクセスだけである。完璧を目指さなければ、これでも結構有用な知見が得られるであろう。

 なにしろ内心に閉じている主観を、客観的(科学的?)に探求しようというのだから、客観化された主観にしか到達し得ないのは、問題の構造上当然の帰結なんであーる。何か分かったようでワッカンナーイ問題ですね。タハハハ