9月23日(水)雷乃収声(雷が鳴りやむ頃)。意識ばなしの現状。

 雨降ったり止んだり。19℃~23℃、88%。台風の前触れか?夜は毛布が必要。それにしてもかなーり涼しくなって、今日は秋物の上着が必要ですただ。9500歩。

 

 意識を意識するとは:

 意識とはなんだ?そりは主観的体験のことだすぅ。意識の研究は主観の研究ですから、意識を研究しようとした途端に、主観たる意識は客観に変じてしまい、何を研究しているのか分からなくなります。これを意識研究のハードプロブレムと称します。ども。

 この主観体験(意識)は深い眠りで一端失われ、また朝起きると再現する不思議さよ。赤い色の赤とか焼き鳥のいい匂いとか美しい音色とかのクオリアは電磁波や匂い分子、音波などで計測できても、感じている感じはとても説明できませんね。この赤はこんなにヴィヴィッドで素晴らしいんだよ♪とか言っても、他人は青を感じてるかもしれません。主観は他者に移動ができないんすよ。他人の痛みは実際のところ感じれませんですハイ。

 それゆえ、主観世界と物理世界(客観世界)は全く別物として、物理世界だけを研究してきたのがデカルト以来の科学ですぅ。すかす意識の哲学「現象学」の影響か、近年意識も研究しようよ!つう機運が盛り上がり(DNAを発見したフランシス・クリックなど)方々で意識科学会が組織されたです。ツーソン会議や国際意識科学会が有名です。

 意識が脳内で発生していることは確からしい。すかす脳内の電気的なスパイクが何故生々しい感覚質であるクオリアを発生させるかの機序は未だ五里霧中です。脳内への機能マッピングはかなり精緻になってきたけど、ここは運動、ここは言語、ここは視覚などいくらやっても意識の発生元は分かりません。すなわち何処に意識が宿るのか?脳内を統合する意識のこびとは何処に住んでるのかは全くわっかりまへん。

 それで仕方がないから、意識を質と量に分けて、質の方(クオリア)はひとまず置いといて、意識の量の方から調べてみようつう試みがなされています。意識の量とは覚醒レベルのことで、起きて頭がスッキリしている時>ぼんやりしてたりうとうとしてたりのレベル>睡眠時のレベルなど意識の明晰度を指標にしようって考えです。

 こりを情報理論に当てはめてエントロピー(取りうる状態の総数)で計算しようってなもんや(殿ーにのアイデア)。脳内ネットワークを観察してそのエントロピーを計算すると統合情報量ってのが分かって、それが意識の明晰度レベルに対応したんだと。まだネズミかネコのレベルですが、その内に植物状態の人の意識レベルを測れるようになりたいんだと。そーすると例え反応が無くても実は意識があるというのが分かるかもしれんですぅ。

 そもそもハードプロブレムの中、ようようここまでたどり着いたという現状です。日暮れて道遠き意識を意識する御噺しですたあああ。どもども。