12月2日(水)橘始黄、かんきつ類が色づき始める頃。内外の懸案が迫ってまいりました。

 寒曇り、のち寒雨。7.2℃~10.2℃、60%。5900歩。37.1℃、耳の後ろや腰の筋肉が痛くて、少しつらい。

 蔵前方面に進出す。この辺は玩具の問屋が多いですぅ♪帰りがけに蔵前神社に立ち寄る。ここは江戸時代に大相撲が行われた場所で雷電などが活躍したとか。落語の元犬の碑もあります。

 

 内と外:

 これは一端境界というものができると必ず発生する性質ですね。生命も膜が出来て、内と外の区別が出来た時に発生したとゆわれます。けっこう内と外って大切な概念なんすよ。インサイダーとかアウトサイダーなんてのもあるしね。

 物事の理解に関しても、外部から客観的に眺めて良く分かる一方で、内部でじかに感じて主観的に体験して見ないと、その本当のところは分からないともゆわれます。

 お仕事においても、外から俯瞰的に見ないと、その全体像が把握できないこともあるし、内部に入ってなまの現場を直接見ないと実態の細部から遊離してしまいます。

 すなわち、内と外を絶えず行き来して見方のバランスを保つのが肝要です。内と外のどちらか一方に見方が偏ると、ものごとの認識にバイアスが生じてしまいます。

 脳活動においても、外部からの感覚入力と脳内からのフィードバック信号が統合されて、我々の世界認識たる知覚が形作られるといいます。しかもこの視覚情報処理の際に使われる外部からの情報はたった7%しかなく、93%は脳内からの情報だと言われます。視覚は脳内で創られる?こりは錯視・錯覚の原因かも知れませんねぇ。

 このような再帰的な構造と脳内ネットワークの並列処理が、どのように共存しているのか?非常に(めっちゃ)興味深い問題です。出力が次々と入力に戻る再帰処理はシリアルな処理になりますから、パラレルな処理とは水と油なんすね。この辺を脳はどう最適化を図っているのか?を解明できれば将来のスパコンアルゴリズムの参考になるでしょう。

 この辺からインスパイアされるのが、意識の構造はこの再帰性(合わせ鏡?)にあるのではなかろーか?つうことです。この構造なら無限にも接続できるしね♪(この項続くかも)

 

 エビデンスとは:

 証拠のことであーる。医学的にはEBMエビデンス・ベースト・メディシン)とかいうランダム比較テスト(RCT)というのに通ったことを言います。因果関係を統計的に推定する方法ですね。

 んで、エビデンスが無いから何をやってもエエんだい!つう論調を見かけますが、こりは大きな誤りです。直接のRCT検証が無くっても、もしそれが原因であると常識的かつ専門的に考えられるなら、一端その施策を止めてみようというのは、社会安全志向では充分な根拠になります。

 昔の事例ではイタイイタイ病に対してエビデンスが無いからと暫く放置されて被害を拡げました。最近では調布の地下工事で地面が陥没したのも因果関係が分からないからと中止しませんでした。挙証責任と言うのは加害者側にあるのであって、挙証できない内は一端止めると言うのがエビデンスの正しい使い方でしょう。ども。