4月2日(火)下弦。ミーニングぅ。

 薄晴れ時々薄曇り。8.4℃~20.6℃、28%。5100歩。南寄りの風ちと強し。今日も夏日。しばらく心に余裕が無くて、月に関心が無かったが、今晩は下弦の半月だすぅ。こりからだんだん痩せて行きまふ。

 

 ミーニングとは:

 ホワット ダズ イット ミーン?なんてゆわれても困るよね。そもそも「意味とはなんぞや?」つうのは根源的な疑問なんすよ。過激派学生の口癖は「ナーンセンス!」ってなもんや。言葉(記号?概念?)は如何にして意味を担うのか?そりが問題だっ!

 意味がある、あるいは意味がない、ってのは極めて主観的でもあるんです。ある人にとっては意味があることも、他の人には何の意味もなーい、とか。それでも若者はまた意味を求めて人生を渡って行きますんや。

 でも少し合理的に考えれば、意味を求めても、そこには何の意味もないことが分かりまふ。考え方の方法論の一つに「極端思考」ってのがあって、ものごとを両極に進めて見よ、そこで答えは得られるであろう。ってなもんや。

 一方の極は、「なぜこの世界が生まれたのか?」、しかしてもう一方の極は「この世界はいつ滅ぶのか?」だすぅ。こりは両方とも実験で確かめることはできまへん。すかす論理的な推考による仮説では、始まりはビッグバン、お終いはビッグクランチ

 地球や太陽系のお終いはそりよりもずっと早くて50億年くらいで消滅しまふ。消える世界になんの意味があるんか?いやいやそのもっと前に、人類はいつまで存続するのか?こりは自分たちのことだからイロエロな意見がありまふ。数年から数十万年まで幅広いです。終末時計なんて残り90秒とかゆってマスカラ。

 ともあれ、人類や世界に意味を求めても何の意味もあーりまへん。こりはもう自分がどー生きるかしかナインですね。日々を楽しく穏やかに、時に激しく切羽詰まって、今ここを駆け抜けて、後は野となれ山となれ。こりが全ての生きとし生きるものたちの、正しい(正しいってナンダ?)姿ではあるまいか?ジャンジャン