9月20日(水)彼岸入り。形而上の問題はいくら考えても、けちゅろんは出まへんえ。

 もくもく靄晴れ時々もくもく靄曇り、夕方通り雨。25.3℃~31.2℃、59%。7300歩。熱帯夜&真夏日。湿度高く蒸っし蒸し。彼岸入りしたが熱暑収まらず。

 

 考え方の方向性とは:

 ギリシャ哲学は二元論と言ってもいいのかな?理想的なイデア界と地上の現実界があって、現実界は絶えず変化し永続性がないので、理想的世界たるイデア界に事物の本質があると見た。イデア界には永遠に続くあらゆる事物のモノホンがあって、地上の現実界はその劣化した写しだと観じた。

 例えば寸分の狂いもない理想的な三角形はイデア界のみにあり、その移したる現実界の三角形はどこか歪んだり曲がったりした偽物であるとした。ここに有名な「洞窟の比喩」というのがあって、現実界は洞窟の外のモノホンの世界(イデア界)が神の光により洞窟の奥の壁に映し出された陰に過ぎないとした。

 このように不完全な現実界で徳を積み、氏んだら天上のイデア界に帰ることができるとした。即ちこの世界は仮初めの世界となりまふ。一方現代哲学では現象学を始め実存主義はこの現実界が全てであって、イデア界など無い!有ってもそれは脳内で抽象化、理想化(アイデアル?)された仮想であり、まやかしであるとした。

 このように人間世界はある見解があれば、それとは真逆の考え方もできるんであーる。現実界には理想的な姿は皆無で、すべてが誤差の世界なんであーる。誤差コントロールが工学の全てであると極論もでける。一方イデア界は数学に残っていて、数学は理想的に抽象化された数の構造物を扱う。

 だから数学は切れがいい♪その反面、数学で現実の全てを切り取ることはでっきまへーん。なぜなら現実界は誤差と矛盾に満ちたアナログな世界だからであーる。つうことで数学(デジタル?算法?実体?)より物理(アナログ?現実?現象?)の方が広いと言えるのかな?・・・いやいや自由に抽象の世界で遊べる数学の方が、現実の制約で凝り固まってる物理より広いに決まってるじゃん!という考え方もありまふ。

 どないせぇつうんじゃあああ!どもども。