9月3日(月)この世界が仮象なら、色々なメタファーがあっていい。

 雨降ったりやんだり、夕方晴れ間。22℃〜26℃、86%。非常に強い颱風の足音!




 メタファーの呪縛とは:その可能性と限界。

 比喩、隠喩というのは非常に分かりやすいんですが、それに囚われてしまうところもありまふ。プラトンイデア論における「洞窟の比喩」もこの類である。常に変転するこの現実界と、それに対するイデア界を、洞窟に映った影と洞窟の外の明るい真実の世界に例えている。ある一つのメタファーによる解釈が、世界を良く説明できると、そのメタファーに捉われて、逆にその解釈に閉じ込められてしまうところがある。

 この世界の認識で言えば、微積分による力の定義、すなわちニュートン力学のメタファーが長い間この物理世界の見方を規定していた。その後、粒と波の重ね合わせたる量子と不確定性によるメタファーができ、今の世界観を構成している。このように世界を説明できる一つのメタファー(完全にこの世界と同一ではないという意味において)ができると、思い込みの動物たる人間は、その世界観に絡め取られてしまうんす。

 そして今はコンピュテ―ションのメタファーが全盛の時代です。AI(人工知能)やIoT(物のインターネット)、フィンテック(含むブロックチェーン)、スマート・ファクトリーなど社会のあらゆる分野に浸透しつつあります。また科学技術の分野でも計算科学なる分野が全盛で、実験計画やシミュレーションなどコンピュテ―ションがなければ全く進まない状況です。もちろん脳科学や人工生命なども、コンピュテーション・ベースでの研究が主流です。

 すかす、この世界をすべて計算に帰着させようとのメタファーも既に限界が感じられます。意識やこころ、生命といったものはそんなにキッチリとしたメタファーではとても説明できません。複雑で非合理な世界をも包含する新しいメタファーが求められる所以ですぅ。ども。