7月21日(火)土用丑の日、朔、大潮。言葉はすごいけど、全てじゃない。

 曇りがちな薄晴れ。23℃~29℃、73%。3500歩。久しぶりにウナギのかば焼きを買ってきた。

 新豊洲の辺りに広いバーベキューサイトがあって、若者でけっこう混んでます。野外なので2密ではありますが、その内にマスク外して唾飛ばして大声で騒ぎ始めるのでアルコールが入ると脱抑制になって危ないと思いました。でも、楽しそう♪(湾岸散歩にて)

 

 ことばで現わされるものとは:

 古代ギリシャ語でロゴス(Logos)は言葉、論理、理性など幅広い意味を有していたが、これがラテン語のLogicaに引き継がれ現代の論理学になるのであーる。これに対比されるのがパトス(Pathos)で感覚、感情、共感などを表わす。

 どっちが根源的かというとパトス方面で、これは単に起源が古いと言うだけかもしれない。人間になって発達したものがロゴスだから、こっちの方が人間としてより本質的だという意見もある。

 でも、動物としての本性は動かしがたいものがあるから、理性や論理だけでは人は動かないのである。いや、感情や共感で既に決まっていることを後から理由付けするものがロゴスだと言えるのかも知れない。頭では分かっているのだけれど、身体がついて行かない、などは良く経験するところである。

 つうわけで、世の中には言葉にできないものがたくさんあるんであーる。理屈では分かるんだけど、なんか違和感を感じて納得できないというのは、身体が反応しているんですぅ。これは理屈(ことば)ではなくして、経験(からだ)で学習してるんです。ことばにできないものを習得するというのは時間が掛かります。これは運動や芸術だけでなく、科学技術を含めて人生のあらゆるものごとに適用できます。知識の習得にはそんなに時間が掛からなくても、身体で覚えるのは大変な時間と努力を要するのですぅ。

 そこんとこよろぴく。(玉虫の1万時間の法則より)

 

 AIが代表するものは、Logos領域だけかもしんねえすね。氷山の水面下の膨大な無意識にはことばにできない、ことばにならないものが蠢いているんでやんすよ。人間をシンプルに捉える陥穽がここにあります。ども。