6月7日(日)世界はそれぞれの人に見えているように存在する(多世界観)。

 緑の初夏晴れ。17℃~27℃、46%。薄い高層雲。7200歩。アオサギのぎょえちゃんが大川の上を飛んでいるのを視認する♪佃島の中心部にあった山本商店(駄菓子屋さん)が5月末をもって閉店してました。昭和風情のお店がどんどん消えていきます。チョッツサビシイ

 

 リアリズムと杞憂:

 何を以ってリアルと感じるかは人それぞれ。それは、その人の生い立ちや世界観に関わることなんです。だからリアリズムと言っても極めて幅が広い概念だと思います。

 生物進化は闘争か共生か?人間世界は叩き合いかか助け合いか?世界には楽しいことで溢れているか苦しい事ばかりか?希望か絶望か?自由か平等か?ホントのところはその辺のバランスなんでしょうが、イデオロギーはそのどちらかに偏りがちです。

 で、頭の中だけで概念をこねくり回している内に、ホントに身体性のある生活感に溢れたリアリティを喪失していくんですぅ。何ごとも決めつけてはなりません。実際頭の中ではどんな考えでも作りだせますから。でもそれに身体性の重しがついて行かないと、軽く軽くどこまでも浮かび上がってしまいます。これがリアリティを装ったイデオロギーが暴走する所以です。

 人は皆、自分のリアリティを抱え込んで、これこそがリアルだと思い込んで人のリアリティを軽蔑します。これこそが人間世界に争いが絶えない原因の一つだと考えます。人間の多様性に想像力が働かない人の世界観は、極めて狭いと言えるでしょう。犬が好きな人に悪い人はいない。この言明は少し怪しいですが、虫の好きな人に悪い人はいない。これはわたしの経験的事実と照らして真実です。

 虫の世界には想像もできなかったような変な虫たちがたくさんいます。そういうのを見ていると、虫というものはこうでなくっちゃいかーん!と決めつけなくなるんですね。そしてこれは人間にも当て嵌まると想像できるようになります。こうして違う人たちとも住み分け、共存できるようになります。我が闘争とかいってこの世界を闘争の巷と考えるような人間が、世界に惨禍をもたらした例は枚挙に暇がありません。またこの世界は極めてリスキイで、多くの危険に満ちていると考えて生きていると楽しくないし、少しの危険に対しても過剰反応しがちです。これは杞の国の人ですね。

 世界は人間が思ったようになるんですぅ。壁に悪魔を描くと、それはやってくる(独逸の諺)。どもども。