7月11日(火)お互い騙し合うより、高め合う方がエエに決まってるやないか!

 もくもく雲の夏晴れ!25℃〜31℃、70%。南風やや強し。







 三人寄れば文殊の知恵とは:

 「三人寄れば文殊の知恵」つうのと、「船頭(煽動?)多くして舟、山に登る!」つう諺がありまふ。あらゆる諺は両面性を有してるんだすぅ。ども

 これは、場合場面によってその諺の適用範囲が限定されるためと思われます。一見「ふむふむ」と納得性のある諺も、その適用文脈を見なければしっちゃかめっちゃか!かな?

 とは言え掲題の諺には、その意図に内在する意味は極めて深いと思われまする。それ(三人寄って話し合うこと)は人間の思い込む本性に根差した根本的な偏見を、多少なりとも軽減する働きがあるからです。人はその生育環境、文化環境、自然環境など、全ての環境からの影響を強く受け、その経験から逃れ得る能わずと。つまりどーしても抜けられない思考範囲というものがあるんです。

その限定を少しでも拡げてくれるのが、他者との交流である!というのは言うを俟たずと♪ま、二人でもエエんですが、一人、二人、大勢という原始人の数感覚から見て、三人以上が好ましい多数と言えるでしょう。人は実際に経験しなくても、他者の話を聞くことで、経験の範囲を拡げていけるんですぅ。なぜなら人間はイロエロな可能世界へ拡大できマスカラ。このようにして、少しづつバイアスの掛かった人々は、他者との交流を通して、その知恵を拡張でけるんだすぅ♪


 でも、他者との交流を通して、かなーり嫌な思いもするってな副作用もあると、これは現実として厳しく認識せなならんな。全て、ものごとには両面性、いや多面性があると言ふ大原則を忘れてはいかんぜよ!どもども。







 すべてものごとを闘争局面に持ち込めれば、あらゆる手段を相対化できる(嘘も方便とか)と思い込むのは浅はかです。それは結局、自分も相手も、社会をも破滅に持ち込むコミュニケーション破壊に過ぎないでしょう。ど、ども。