11月28日(月)繰り返される気の遠くなるような年月

 曇りのち晴れ。10℃〜14℃、54%。北風強し。


 回る回る:

 落ち葉の小人たちがくるくる回りながら踊っていたが、風に追われてさーっと逃げた。そして地面は真っ黄色。こんな光景が2億回以上も繰り返された、気の遠くなるような時間の経過。イチョウは生きる化石だけど、どこまでもしぶとく山火事にも負けず、戦火にも負けず、大火災にも負けず、焼けた幹からまた芽を出して生き続ける不老不死。英語ではmaiden-hair とも言われるが、これは娘のデルタのこと。生命力の象徴でもありましょう。

 生命とは、回る独楽のようなもの。あらゆる変化(化学的、物理的、環境的)のバランスを保って回り続けるが、そのバランスもだんだん崩れて、最後はゆらゆら揺れて止まります。




 習慣か兆戦か?

 だいたい人間の脳というのは、同じことを続けていると、飽きるような仕様になっているのに、同じことを毎日続けれるのは、なぜなんだっ!・・・そこには、習慣の力、即ち心理的慣性の法則があると、信じざるをえません。これは新奇を好むドーパミンと、安定を好むセロトニンとの闘いではアルマイト?どっちにしろ脳内ブッシツ間の争いであることに、変わりはあーりません。タハッ




 集合知とは:

 個人個人はあんまし頭は良くないが、3人寄れば文殊の知恵っつうことがゆわれます。全体は単なる個の集合ではなくして、質的な転換があるんだっ!つう意見ですね。ま、わたしはあんまし信じませんが。むしろ集団になるとお馬鹿になる方が多いと思てまふ。この原因は両方とも、個人の責任感が希薄になる脱抑制によるものだと思われます。自分に戻ってくる割合が低いと、気軽に考えれるし、かつ無責任に思考は飛躍でけまふ。団体旅行は破廉恥になれるし、選挙の時でも「どーせ自分の1票なんか?」とあんまし深く考えないでしょ?それが良くも悪くも働くということではナインでしょうか。アハハ