9月14日(金)記録の意味について。

 朝のうち雨残るも、のち曇り。21℃〜25℃、72%。降る降るとの予報に脅されたが雨降らず。途中で傘を忘れそうになったぜィ。雲間からとても綺麗な三日月♪



 メモメモ!

 ぼくは何でもすぐに忘れっちまうから、いつもメモを取ってます。でも、その大部分はメモを取ったことさえ忘れてしまい、2度と見ることはありません。然(しか)らば、メモを取ること自体は全く無駄なのか?っつうと、然(さ)にあらず。メモをとること、その行為自体で要点が整理できるんですぅ。こりをエクリチュールと言ふ。

 姜尚中さんはその著書「オモニ(母)」の中で、書き記すことの意味を問うている。彼のお母さんは、文字が書けなかったと。そのために、昔の出来事やトラウマを忘れることができずに、苦しんだと言ふ。人は、書くことで過去の記憶から解放されるんですぅ。

 こういう行為は、本を読むときの傍線や、付箋による印なんかにも言えます。印をつけた場所を、後で読み返すかと言うと、必ずしもそーではない。これも、印をつけるという行為自体が大切なんですぅ。メモや印という行為によって、それらに囚われるという潜在意識から解放され、思考の自由を獲得でけるんだと思いまふ。どーですじゃろか?

 (本を読むときに、必ずビッシリと付箋を付けてる人に、「それは、後で読み返すときに役に立つんですね?」と聞いたら、「実は、読み返すことは殆んどナインですぅ。」という返答に接して、考えたこと。)