9月24日(月) 中秋の名月、雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ )

 薄曇り。21℃〜29℃、71%。名月や 見える見えぬの ぎりぎりだ。

 ゆうさくはゆうしょくまえにつきにつき。そー言えば金子兜太さんも申していたように、季語は必ずしも必要ないと。ただ単に詩情を乗せる詩のことばさえあればいい。そーでなくては南洋や極地、砂漠などの、季節の無い地域では句を読めないということになり、グローバルな展開が難しくなるんですぅ。





 宗教とは:健康にもいいんだすぅ。

 日本人は無宗教が多いですよね?つう言辞をよく耳にする。はたしてそりはホントであろうか?ただ単に絶対神がないだけではなかろーか?実際、初もうでやお祭りなどの、季節の神事には多くの人々が集まりまふ。でも結婚式やお葬式などはイロエロな宗教でごっちゃまぜになってます。結婚式は神道で、お葬式は仏教とか。

 そもそも、宗教の始まりは「思い込みの動物」たる人類の本性が然らしめたるものだすぅ。穢れや清めを儀式をもって取り払う行為は、現代の日常にも根付いているジンクスやルーチンにも通じていまふ。著名なスポーツマンや芸人、相場師などは、今でもゲンをかついで、ある動作をしないと気持ちが落ち着かないとか。いやいや、大企業や研究機関でさえ、大きなプロジェクトの始まりには、神主がお祓いをしたりします。科学的にはなんの意味がなくっても、心理的には清められてスッキリとするんですう。これ宗教と言わずして何と言うんじゃあああ!

 個人の住宅の棟上げ式だけではなくして、新幹線や新造船の起工式、進水式にもお祓いがありまふ。科学技術の粋たるカミオカンデハヤブサ、はたまた巨大科学プロジェクトの発足式には御祓いが入ることが多いでげす。ご利益とかばちが当たるとかの、加護概念や可罰概念は、日本の日常生活においてごく普通に見れるんすね。また長く使ったものや、止むを得ず利用したものへの供養奉納なども針から人形、昆虫まで広く見受けられます。これ宗教心に非ずや!

 つうことで一般に海外からは無神論と見られている日本人は、実はものすごく宗教的な民族なのではあるまいか?ちなみにこりは欧米の研究ですが、毎週定期的に教会に通う信心深い人の健康寿命は、そーでは無い人と較べて有意に長いんだと。まさにはっきりと申し上げて、心理的なこころの安寧が、かだらの健康をも増進するということでしょう。ナムナム




 そやそや、LFR(リトル・ファルコン・ロケット=はやぶさ)が、小惑星イトカワから満身創痍で帰還して、大気圏突入で四散した時に、日本人の多くが涙した。高が無機物の固まりであるのに、勇者の帰還のように涙した(漏れもだけど)。こりを宗教心と言わずしてなんと言ふううううううう!うう、思い出しても悲しいんだすぅ。ううう。