6月12日(月)変化が世界の実体だとすれば、自分こそが変化すべきものであーる!

 もくもく雲の極めて多い晴れ。17℃〜25℃、50%。






 悪魔の契約とは:

 バブリーな状況を作り出して、見せかけの景気向上を演出すること。政府が発行した国債を、日銀が際限なく買い続けて、紙幣をジャブジャブ刷る際限なき量的緩和政策は、実は出口がナインですね。少しでもお札を絞る姿勢を見せただけで、まるで風船に棘が刺さるように破裂してしまうから。・・・でも現政権は一見好調そうな偽バブルを株価や資産価格で演出し、権力私物化の悪政を押し隠しているから、札を刷るのを止めれません。・・・たぶんどこかで誰かがやらなけりゃ、いずれ破綻します。でも、それは後継政権であって、悪の種を蒔いた現政権ではあーりません。こりを悪魔の契約と言わずしてなんというんだあああ!ど、どもども。





 バカこそ賢いとは:

 これも結構普遍的な原理であると思いまふ。何かに特化した専用機種よりか、何でもできるけど何にもできない汎用機種が常に勝ってきた機械の歴史があります。人間も生まれたては、無力でおバカで何にもできませんが、その分成長の過程でイロエロと学習して、何でもできるようになりまふ。それが昆虫のように生まれつき特化した行為を、生まれた途端に非常に洗練して実行できる生き物との違いなんですぅ。すなわちアフォこそ、アフォだからこそ、無限の伸びしろがあると!でも、小賢しく凝り固まったモノホンのアフォってのもおりますから、こう言ふのは救いようがありませんな。ども。



 凝りを少し解きほぐす:

 人間は生まれた時からのイロエロな縛りで「制度的島」に閉じ込めっられているとウィトゲンシュタインは言う。もちろん言語も縛りの一つである。5+7が12というのも一種の人としての縛りで、宇宙人は5+7は6と言うかもしれない。このように自明なものばかりではなく、様々な育った環境が全て島になっているんですぅ。例えば人間の空間認識はセンサーとモーターの経験的連環で作られたと言う。例えば、モグラやミミズのように土の中で1次元のアクションしか経験できなければ、その認知能力も1次元に限られてしまうと。例えば、子猫を縦じまだけの環境で育てると、横縞を認識できなくなりまふ。さらに子猫を車付の荷台に固定して、周囲は見れるが足を使わせないで育てると、センサーーモーター連関が切断されて、3次元認識(奥行?)ができなくなるという。我々が4次元を直接認識できないのは、4次元的な環境で育っていなかったためだと言う説もある。でも、この世界は10次元ででけとるっちゅう「超ひも理論」などもあるから、何十年も頭の中でトポロジーを経験していると多次元を実感でけるっちゅう学者もいないこたーない!

 ともあれ行為(経験?)がわたしを作っているという認識は、新しい「わたし観」すなわちI-ingを形成し、言語を発する行為自体がわたしを作っているんだあああ!と気づかせてくれる。すなわち行為(身体性?)に基づき、ちがう「わたし」を作れるんだ!という可能性は、小さく凝り固まった自分を変えてくれるんだすぅ。ん?これはちと、ちゅーしょー的に感じると思われますが、考え続けている内に、自然に実感できるようになるのは、上記の様々な例が実証するところですっ。キッパリ