9月17日(日)玄鳥去(ツバメが去っていく頃)、秋の長雨

 終日弱雨しとしと。18℃〜20℃、90%。肌寒い。プールだん。

 颱風は中国に向かう方向から尖閣諸辺りで急に折り返し、日本列島上空を通過する模様!まるでミサイル誘導みたいだな?






 抽象的思考の害とは:人間は先が見れると思い込んで不幸になった?

 何事も現実から遊離して、こうあるべきだあああ!となってしまうから、別のこうあるべきだあああ!と衝突してしまうんすよ。こういうのをイデオロギーと言ふ。真の正解なんてナインですから、もっと肩の力を抜きましょう♪でも、こりは理性を獲得した人間の宿命かもね?最近は哲学者だって、言い張りんぼが多いですからね。確固とした信念と思考の柔軟性は両立しないんじゃあああ!ども。






 何かのためにとは:

 他のもっと価値がある物事のために自分を犠牲にする、あるいは未来を重視して現在を犠牲にする考えである。いずれにせよ今ここを低く見ている。地位の為に誠実さを犠牲にするとか、食うためにやりたいことを犠牲にするとか。本来は先を見通して、現在をより良く生きるために発達した大脳の負の使い方である。あらゆる学問は、知りたいという欲求(好奇心?)から発したはずであるが、現在は手段となってしまった。人間を手段としてはならない!というのはカント倫理学の核であるが、今では哲学でさえ世を渡るための手段となってしまった。哲学を学んで教員になり、それで飯を食っていける者はほんの僅かである。でも、そのわずかな職に群がって説を曲げる曲学阿世の徒は後を絶たない。この世界の本質を知りたいと物狂おしく彷徨うものは、しやわせである。漁夫をやりながら、あるいは町で工事をやりながら、あるいは主夫をやりつつ哲学を目的とする者は、しやわせである。なぜなら手段の犠牲にならないからである。わだすの師はそがいな人なんですぅ。ども。