9月16日(土)あなたはもう忘れたかしら♪

 概ね曇り、時折りパラパラ。前線が下がってきた為、終日21℃前後と極めて涼しい。





 神田川にて:涼しい遊歩

 今日は飯田橋付近から高田馬場付近まで、神田川遡上の散歩♪江戸川橋を過ぎた当たりの、江戸川公園内に江戸時代の神田上水取水址あり。ここの少し上流にある大滝橋付近に大洗堰を作って水位を上げ、上水路で日本橋、神田、牛込方面に給水したと言われる。この辺りに関口町、水道町という地名多し。この辺は昔(江戸時代?)ながらの町名を保存していてよかよか♪(ちなみにわだすは方々転々としたが、未だに本籍はこの付近にあるんですぅ。)

 更に椿山荘の下を通って、関口芭蕉庵を尋ねる。ここは芭蕉が壮年の頃神田上水の工事頭をしていた処だすぅ。34歳から4年くらいいたらしい。その後、神田川を下って深川に庵を構え隠居したのでござる。昔の隠居は若かった。神田上水を守る水神社、永青文庫を見学し、肥後細川公園(以前は確か新江戸川公園と称していたような希ガスる)に至る。小さいが回遊式泉水庭園にて、名園なり。

 さらに川を遡ると、老舗の染物屋多し。昔の神田川で染物を晒したとか。なおこの辺りが印刷出版業の集積地になったのは、神田川を利用した紙漉きが多かった故であると言われる。江戸時代の工業は川に沿って生まれると。都電荒川線の起点@早稲田駅もこの付近にありて、今は無き安兵衛湯もあった。ここで風呂に浸かったのが、赤い手ぬぐいマフラーにして、石鹸箱をカタカタいわせたアベックである。名曲神田川は早稲田の貧乏学生が作ったとゆわれまふぅ♪(同行の者が申すに、この歌詞はDVのにほいがすると。訳を尋ねれば、「ふつう女性の方が髪を洗ったり乾かしたりと長湯の傾向があるが、このケースではいつも女性が先に出ていて寒い中石鹸をカタカタ言わせながら待たなくてはならない。これはパワハラである。」と言い立てた。)

 面影橋の北詰には太田道灌由来の「山吹の里」碑がある。道灌鷹狩の際、雨に降られて農家の娘に蓑を借りようとしたところ、山吹の一枝を差し出された故事に基ずく、「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき」という歌は有名である。曙橋を過ぎると、魚の遡上を助ける魚道が確認される。平成9年に魚道が設置された後で、上流の高田橋付近にてアユが確認されたとある。驚いた!

 この高田橋には妙正寺川、および神田川本流と神田川分水路の合流が見られる。神田川本流は更に遡ったところで善福寺川とも合流し、水源である井の頭池に達するのであーる。前長約25kmの都内最大級の川の中流域の散歩でしたあああ!終点、高田馬場は慶長年間家光が馬場を作った時に発する。この馬場は全長650m幅55mの大きなもので、旗本たちが弓馬の調練をしたところですぅ。

 高田馬場から小滝橋に向かう道筋から少し入ったところにある福の湯で疲れを癒やす。この銭湯にはご主人の趣味で、珍しい動物、魚類などが飼われていて(ミーアキャット、ハリネズミ、モモンガ、カメレオン、電気鰻、タランチュラ、サソリ、カブトガニ、などなど多数)その筋の好き者には人気ですぅ。湯はやや熱め。歩行距離2万歩弱なり。




 関心とは:

 無関心は悪だとある人は言う、しかし人はあらゆることに関心を持続できる者ではありません。可愛そうな人々は世界中に満ち溢れているし、悪い政治は世界中に満ち溢れています。人はその殻に合わせて、できる事をするしかナインですぅ。・・・いや、ホントにそーなのかな?でき得る限りの関心は持続・維持しなければ生きてる甲斐はない?・・・しかし、個人の他者へ向けるエネルギーには限界がある!・・・というようなジレンマに常に挟まれつつ生きるのが、ホントに誠実な人なのかも知れません。もれにはとても無理だけど。その理想だけは分かります。