9月15日(金)当たり前のことを突き詰めると、当たり前ではなくなるんでーす。

 晴れのち薄曇り。20℃〜28℃、33%。風が涼しい。もう彼岸花が咲いていた。




 笹塚方面に進出す:

 博学多識な人と論談する。また楽しからずや♪因果関係の整理整頓。因果とは、正確には複雑な世界の全ての共通原因を正負の影響を含めて把握しなければ、決定できません。そこに確率的因果関係という概念が生じるんであーる。手を放したら鉄球は下に落ちる、というような単純な構図は実世界では極めて少ないんであーる。ども。





 宗教観とは:

 日本の神々は、それ自体のエネルギーを以ってあらゆるところに湧いて出る。巨木や巨岩に限らず、竈だって便所にだって湧いてきます。もちろん人からも湧いてきます。八百万の神々は、ただ湧いて出るだけで、人間世界に関与せず、あんまし悪さはしません。ただただ親しみや畏怖の対象となるだけなんですね。

 一方、西洋の神は抽象的で理論的な一神教が主流であります。最後の審判などもあります。では、何を基準として審判は行われるのか?閻魔様は嘘をついたら舌を抜く、しかしキリスト教の原罪は、受肉したイエスが既に身を以って償ってくれたはず。では、今さら何を以って天国と地獄を決めるのか?それは、その原罪を償ったというイエスを信じるか否かなんであーる。

 日本の仏教においても、阿弥陀信仰というものがあーる。なぜ悪人は善人よりも往生しやすいのか(悪人正機説)? これは自力救済の考え方に依存する。自力で救済できる善人には阿弥陀は必要ない。しかし悪人は阿弥陀に頼るしかないんです。すなわち阿弥陀をただただ信じる方が救われるんであーる。最後の審判と、どっか似てませんか?てな話しを聞きました。ドモ