5月18日(水)無神論(atheism)も宗教の内だ

 こんにちは。ちょともやった五月晴れ。おだやかな天気。
最近ラーメンに嵌ってる。細めん、太めん、縮れ麺などイロ
エロと試してマース。具も野菜、肉、コーン、ワカメ、チャ
ーシュー、など栄養にも気を使ってまふ。未だ定番なし。奥
が深いれすぅ。

















 公平や公正って言ってもそれは社会的な約束で、生物的に
いへばかなーり無理があるよね。ようするに理屈(理性?)で
考えたものです。元来、世の中は平等ぢゃないしね。生まれ
つきにしてからが偶然。容姿、才能、家柄、国、時代などなど
全く選べません。ぜーんぶひょっこりこの世に出てきて、もの
心付いたらもう既にこーなってたっつう所与の産物。

















 だからそういうものに文句を垂れてもムリムダムラなのれ
す。もの心ついて(自我ができて)から、変えれるものに注
力すべきでしょうね。人間というものは生まれつき不平等で
あーる!また、生まれた後も運不運が必ずついて回るのだあ!
と観じれば、「人間(じんかん=世間)すべて塞翁が馬だい」
とでも考えなくっちゃやってられんがなもし。ハア~















 そこですがり付くのが宗教でやんすね。この世の不条理を
来世で補償するとか。因果応報とか。最後の審判とか。そー
しないと幾ら道徳的に徳の高い人になっても巣食われない
から、道徳が成り立たないとか。プ こりが「裁きの神」。
一方、この世の理不尽や人間存在の悲哀を応報ではなくって、
救いに求める羊たちもいまふ。これは正しい義人が救われる
(応報神)だけではなく、困っている人、苦しんでいる人が
救われる(慈悲)「救いの神」になりまふ。どんな宗教にも
必ずこの両面があるとゆわれてます。













 悪い奴ほど良く眠る。タハッ 善人なほもて往生をとぐ、況
や悪人をや。トホホ 馬鹿も間抜けも、善人も悪人も、義人も
罪人も、みな等しく救済するのがホントの宗教といえるので
せう。いわんや原発をや!いわく原発供養の儀。(たちゅる
・ウチーダ語るなり。)











 ウリウリウッシッシ