9月5日(水)カントを盲信しても二百年遅れかな?

 曇りがちな晴れ。30℃強、蒸し暑い。それでも朝晩は少し過ごしやすくなったかな?



 空耳アワー:ワン国民とニヤン国民の国境紛争にチュー国もからむ。犬と猫と鼠かよと。




 環境が人格に与える影響:金持ちの馬鹿息子、貧家に孝子いずる、と良く言われますがこれが統計的に有意な事実なのかは誰も知らない。知らないが妙に納得してしまう。このような類の話しは意外に多いと思う。諺や過去の偉人、現在の著名人の言うことのみが論拠である主張には注意を要する。単なる主観で何の根拠もないことが多いのである。(でも、いちいち統計を調べることもできないから、ふつうはその人物を見て当否を判断する。信者が生まれる所以であーる。)




 カントの倫理学:霊魂不滅、自由意思、道徳心、3つの要請

 ・神と獣の中間たる人間は純粋に理性的になるのは不可能である。しかし無限に努力出来れば神聖性に近づけるかも知れない。ここから霊魂の不死が要請される。
 ・我欲を抑え公共に資する道徳を実践するには理性の判断を必要とする。ここから自由な意思が要請される。自由意思がなく、すべてが必然ならば人間は何も判断しなくて良いからである。
 ・悪い奴ほどよく眠る。有徳な人が必ずしも幸福でなく、悪人が必ずしも不幸ではない。この矛盾を克服して道徳と幸福を整合させるには裁きの神が要請される。

 自分で定義して自分で要請しているってなところも感じれまふが、カントはつくづく道徳的で真面目な人だったんだなあと思いますた。18世紀末のドイツは後発で先進諸国に追いつけ追い越せの上げ潮ムード、坂の上の雲精神で「無限の努力」を続ければいつかは達成されるという時代精神をカントが代表していたとも言えまふ。明治期に日本でも良く読まれた所以であーる。さしあたりカントはもう秋田。ども。次は借りっぱなしになっている「人生に生きる価値はない」(中島義道)を読もう。少しトホホな予感。