1月28日(土)空飛ぶ鳥は、なして存在自体を思い患おうか?

 白っぽい快晴。5℃〜13℃、58%。風も無く穏やか。

 今日は湾岸地域をずてぃんしゃで散歩♪鳥影が濃くて嬉しい。もし生まれ変われるのなら、昔は昆虫がイイナ♪なんて思てましたが、今は渡り鳥がいいなぁ♪南極から北極まで往復する超長距離飛行者もおりますから。





 理性の限界とは:

 デカルトは認識主観である「我」だけが存在の根拠であるとした。しかしフロイトにより無意識・前意識状態が発見されて、心は身体の上に立つのではないのんか?との疑問が提示され、魂、精神、知性、こころの優越性が崩れたのですぅ。もともと神とか無とか無限とか死とかいう経験できない形而上的な概念は、いくら考えても無駄であーる!つうのはカントもゆってました。仏教でも、「無」というのは文字にできない(不立文字)し、語ることもできない(無記の記)といわれ、只管打坐(ただひたすら座禅する)という行為を重視してきました。いわゆる分別(ものを細分化(分析?)して理解する)を否定したのですぅ。

 カントが理性の限界を提示した、4つのアンティノミー(2律背反)つうのは有名ですねぇ。
第一のアンチノミー:マクロの限界
宇宙は時間的な限界と空間的な限界を持つ(有限である)。
宇宙は時間的にも空間的にも限界を持たない(無限である)。

第二のアンチノミー:ミクロの限界
世界の実体はすべて、それ以上に分割不可能な最小の実体(例えば素粒子)に分割することができる。
世界の実体は、それ以上に分割不可能な最小の実体に分割することはできない。

第三のアンチノミー:自由意志の存在
人間に自由意思は存在し、因果法則から独立している。
人間に自由意思は存在せず、因果法則に支配されている。

第四のアンチノミー:必然か偶然か
世界には因果関係における最初の原因(例えば世界の創造者)が存在している(世界は有限である)。
世界には因果関係における最初の原因は存在しない(世界は無限である)。

 これらのアンチノミーはすべて、どちらの命題が正しいと仮定しても矛盾が生じ、このような二つの命題に対しては理論・理性では解決することができないと考えたのですぅ。(カントの純粋理性批判より)


 心身(精神と身体)の対立は有史以来の係争にして、現代の脳科学や意識のハードプロブレムまで続きます。古代ギリシャでは理性の優越(イデアのように永遠普遍なものが、変化し滅びる仮の姿@身体より本質的)を主張し、中世では全ては神の創造であるとし、近世では精神(主観)と身体(客観)の分離!そして現代は?・・・イロエロな説が万遍なく主張され、二元論(心身分離)と一元論(心身が混然一体)の間に無限のグラデーションがあるという百家争鳴状態なんですぅ。これらは最新の脳・神経科学、意識の科学の進展とともに、哲学的論争も増々盛んになってきますた。・・・でも、哲学ですから結論はたぶん出ないと思いまふよ。ハレハレ