7月1日(土)カントの新解釈を聞く

 概ね曇り、ときどき細雨。23℃〜25℃、79%。むっしむし。





 目白方面に進出す:

 学習院大学で哲学会総会および中島ギドー先生の講演があったんですぅ。ギドー先生はご存知カントの研究者としても名高いですが、「うるさい日本の私」でも有名ですぅ。うるさいは日本に掛かるのか、私に掛かるのか?わたしは後者だと思いまふぅ。今でも騒音反対運動をやってるのかな?ま、都議選の街宣もひどいですがね。

 そのお題は「カントにおける最高善と根本悪」という分かったような分からないようなカントの斬新な解釈です。道徳善のうち、ごく普通には賢く仕事ができて人の気持ちが良く分かるという人間性に優れている、所謂良い人になるのは次善で、最高善はなにしろ無条件に誠実であること(約束を守る=嘘をつかない)なんですと。無条件ですから方便も成り立ちません。人を匿うためにつく嘘も、人を安心させるための嘘も、踏み絵をして内心でつく嘘も許されないのが最高の道徳善なんですぅ。例え人類が滅ぶとも嘘はつかないと。

 これに合対峙するのが幸福(すべて望むことを得ること)です。しかし最高の道徳善と幸福とは両立しないことが多いと。嘘をついた方がしやわせになれるケースが圧倒的に多いのです。しかも肉体を持つ人間の本性として、欲を満たすためにつく嘘の多さははんぱでないんすね。この両立はかなり難しいし、不可能かもしれません。絶対に何があっても無条件に嘘はつかないという最高善の達成は有限期間では困難である。その為カントは「魂の不死」を要請します。しかし、それでも永遠にそれを問い続けなくてはならない。その為にカントは矛盾した世界と人間を造った神、それに対して問い続けたい神の存在を要請します。


 そして根本悪というのは「弱さ」「不純さ」という自然な人間が普通にもつ悪よりも、良い意志や幸せになろうとして犯す嘘のことを言います。すなわち善人ほど悪いと。しかもこれは人間である限り避けようもないことが多いと。この永遠に解の無い最高善と根本悪の間の葛藤を続けていくのが人間であると。哲学にも人生にも解はありません。続けれるのは、永遠の問いのみであると。いやー、哲学つうのも厳しいですねぇ。ども。