10月28日(水)霎時施、しぐれが時々降るころ。目的のためには手段を選ばずの害とは。

 曇りがちな天候。13℃~20℃、56%。久しぶりに豚汁♪タコとキューりとワカメの酢の物も造る。

 

 

 プロコンとは:

 プロセスとコンテンツのバランスを取ることはめっちゃ大切なんですぅ。手段と目的といってもいいのかな?どちらも大切なんですが、究極的にどちらが重要かっつうと、前者なんです。方法論は実体論を破るとかゆわれマスカラ。

 よく引き合いに出されるのは、ギリシャの例です。古代ギリシャがまだ辺境の頃、文明の中心だったエジプトのアレキサンドリアに留学する若者が多かったという。すかすその若者たちは大図書館に貯蔵されちょる膨大な知識よりも、如何にしてそれらの知識を習得したかのプロセスに興味を持ったと言う。即ち学問の方法論だけを持ち帰ったと。その後ギリシャが現代まで続く西欧諸学の源流になったことは歴史の示す通りだす。仮にその時、膨大な知識だけを持ち帰っていたならば、古代エジプト文明を超えることは決してできなかったでしょう。

 さらに時代を下って、一時アラビアに抜かれていた西欧に近代的学問が勃興したのは、デカルトの「方法序説(ほんとはもっと長ったらしい表題の学問の方法の話しなんすが)」からなんすね。学問のやり方を根本から変えて近代科学の先駆けとなりました。

 世界中の人々を平等にしやわせにしようという旧共産圏の理想も、そのプロセスがテクノクラート独裁の警察国家になってしまい、かえって不平等を招いたというディレンマもプロセス的失敗の一例です。どんなに高邁な目的も、手段が悪辣では長続きしません。

 しかして現在の日本はどーか?国民のために働こうという目的は至高なれども(それまでの政権が国民のために働いていなかったみたいではありますが)、その手段が人事で脅しを掛けて萎縮させ、異論を許さず、忖度や服従により国を纏めようという姑息さでは、とても長続きしません。もっと大らかで自由闊達な気風が、良い目的のためには必須だと愚考する次第です。しがない玉虫風情が大それたことを申し上げました。どもどもども。