11月22日(土)小雪(こゆきぢゃなくって、しょうせつ)、雪の便りが聞かれるころ

 白っぽい快晴。11℃〜18℃、44%。すこし暖かさ戻る。

 雀だけじゃなくって鳩も嬉々として木の実に群がってました。嗚呼、秋はイイ季節。とは言え、木の下に自転車を止めてビールを買って戻ってくると、悪カラスがハンドルに止まってさっき買い物をした袋を突っついて破っている。大根と人参だけだから大した被害はなかったが、以前フランスパンを食い荒らされた時があったからなぁ。油断禁物!

 今日もぞろ目続きだから何かの記念日があるな?と想定して調べたら、イイ夫婦の日だって♪そのまんまじゃん。ぷ




 時間・空間って?

 時空について深く考察したのはアインシュタインだけではなーい!古今東西の哲学者がみんな関心を持ったのれすよ。現代哲学でも「時間論」は未だ最大のテーマではありまふ。時間は大きく2つに分かれます。すなわち空間化された物理的な時間と感覚される内的時間意識だすな。前者は時計の動きや運動などで空間化され、後者は音などで認識される内的時間だすぅ。

 感覚器官の中でも視覚は空間的であり、聴覚は時間的であるとゆわれまふ。勿論、視覚にも時間的な要素があり、聴覚にも空間的な要素がありまふが。例えば動画などは静止画のコマを連続して見せれば動きになります。一方、音を区切って離散的に並べてもメロディーにはなりません。音には連続性・持続性が必要なのですね。この辺をフッサールは『内的時間意識の現象学』にて事細かく分析していますが、現在の根源的印象は、過去の音が沈下した過去把持、生き生きした現在、次の音を予期した未来予持、の三つが凝縮したものであると。すなわち現在と言う核を取り巻く電子雲のように取り止めのないものなんであーる。しかも現在を今現在に捉えようとすると、スルリと時が逃げて、常にズレていく現在。これは自分を自分が捉えようとする自己意識が主観・客観の狭間で、常にスルリと逃げてしまう認識主観に似てまふね?空間には錯視錯覚はあっても、このようにスルリと毀れる曖昧さはあーりません!

 とは言え、音が絵画(空間)よりも感情に結びついているのは確か。悲しい音、楽しい音、不安な音、勇ましい音、始めの音、終わりの音など、音で一つの感情物語が描けてしまうのはなぜか?単なる音波の連続なのにね?たぶんこれは脳内の情報処理にも時間が深く関わっていて、その処理形態を左右する遺伝子的な構造があるような希ガスる。動物にも虫にも、色んな音色があって、それらは求愛や親愛、警戒や合図などが本能的に備わっているんだすぅ。増してや人間に於いてをや!(この項続くかも?)








 渡世の義理もうらみつらみもごぜーやせんが、ただこの一点にて安倍ちんの政治お命頂戴いたします!

 モミイを始め戦前回帰の言動を為したる戯け者たちを、NHKの会長、経営委員に押し込み、公共放送を私せんとする罪、許し難しっ!(それでなくても公共空間に勝手に垂れ流した電波をたまたま拾った人からも強制的に視聴料を上納させるなどヤクザの如き振る舞い、天地許されざる所業なり!いやこれは安倍ちんに関係ない話ですが、八つ当たり)実際昨日も、安倍ちんの出陣宣言を長々と実況中継してたのはNHK総合だけれした。わたしも早いとこNHK料金の自己供託を解除したいんす。それにしても幹部全員の辞表を預かる経営手法って、どーかと思いますがねぇ。わたしの一番嫌いなタイプですぅ。どもども。