8月8日(土)立秋。秋が立ったら、かなーり気温が下がったですよ♪さすが24節季!

 概ね曇り、ちょびっと晴れ間。26℃〜31℃、66%。なんか比較の問題として、すっごく涼しく感じましたぁ♪夜風も涼しーいっ!







 東京湾大華火祭:今年で最後だって。

 オリンピック施設がでけるから今年で打ち止めとか。これで周辺のマンション価値がかなり下がるは必定!湾岸マンション建設業界の奮起を望むなり。
とか言いつつ1万5千発の花火は迫力がありました。特に5寸玉や尺玉の迫力は、ズッシーンと腹に響きます。最後の10分の一斉打ち上げはさすがの迫力。花火大会の定型と言えばそーなんですが。

 ヴィジュアルは空間的、オーディオは時間的ってな先入観がありまふが、花火を見てるとこれは時間の芸術だな、やっぱし。最近のメディアアートでも時間の経過を主題にしたものがあるし。逆に何十台ものスピーカ使って空間的な効果を出すメディアアートはありまふねィ。もともと音は360度上下左右の空間把握に適したものなんす。我らの思い込みを破るもの、それがアートなんす。






 日常的なもの:

 元々その発祥においては、ごく日常的なものが年古ごとに芸術化してもったいぶったものになるという法則はあるのかな?
 例えば落語にしたって、その辺のオヤジたちが集まってお喋りしている内に、話しの上手い奴が出てくる。→そいつが席を設けて話すようになる。→ウケる。→席が定期的になる。→弟子がでける。→一派がでける。→名人が出てきてレジェンドになる。→芸術に格上げ。つうようなのが典型的な経緯ですねぇ。

 似たのは歌舞伎や京劇、はたまた演奏会なども、その発祥においては宴会の余興で、バックグラウンド。だれも真剣に見たり聞いたりしてまへん。みんな宴会の酒池肉林、いちゃつきや、密議・謀議に夢中でバックの余興には大して関心を持ちません。それが上述の経緯を辿ってもっともらしい芸術に昇華するんですぅ。

 そもそも哲学だって暇人(ソクラテスなどの自由人?)の政治談議がそもそも化して、弟子が面白がって文字に纏めたのが発祥なんすから、床屋談義もバカにでけない。たぶん絵画や彫刻だって、街の風呂屋の壁画や展示物が発祥ぢゃナインかな?現代のかなーり抽象化した数学だって、その昔は取れ高を計算したり、耕地を計ったりといった日常から出たのは確かだ。だいいち指が十本しかないから10進法がでけたって話もあるですよ。仮に指が8本だったら、8進法だったですぅ!

 すべては日常から発する!その日常の奥に、何が隠れているのかを見通せるものが、名人になり、芸術家になり、天才になるんですぅ。どや?どや?どや?