5月1日(木)有為の奥山けふ越へて 浅き夢みしゑいもせず ん?

 薄曇りのち雲の多い晴れ。18℃から24℃とあと一歩夏日に届かず。日本橋に足を延ばしビーテレでやっていた豊年萬福の日本橋川テラスでランチ。室町コレドのにんべんで鯛めし、おでんなど出汁のきいた惣菜をテークアウト。プチグルメな1日なり。






 バナナが話題のサッカー界ではない話し:
 

 夜は新宿紀伊国屋まで足を延ばし、吉本ばななさんの話を聞く。また楽しからずや♪反発するにしろカブレるにしろ吉本隆明は戦後思想界の分水嶺!思想を便利なツールに貶めず、絶えず根本に立ち返った(つうか自分の身体性に(つうか生活実感?)に即した)思想を展開し、言語、国家、社会、精神、信仰とかの抽象的な概念に魂を注入し続けたつわもの。でも決して上から目線じゃナインれすぅ。

 そがいなとっつあんを極身近から見た目線はまた暖かい。月島の裏路地で生まれ生粋の江戸っ子の心意気を持った家族像。義理と人情とやせ我慢。権威に媚びず庶民には優しいその気風は宵越しの金はもたねえ覚悟から。

 「父は繊細だが社交的で、もやもやした考えから何かしら真実味があるという情には脆くない反面、説明が付かない不思議なタイプの厳格さを持っている。父が無くなった後定期預金や積立やらの通帳がたくさん出てきた。若い銀行員さんが営業にやって来るとお金もないのに加入してしまった結果である。また植木屋さんが母の注文どうりではない庭を造ってしまった時、母はやり直してもらうと言ったが父はせっかく一日中頑張ってくれたんだから言わないであげようよと言いました。封筒に入っていた10万円が無くなった時もそーでした。その日に出入りしたのは酒屋さんだけだったので皆は酒屋さんを怪しみましたが、父は「あの人を疑うくらいならお金なんていらない」と言いました。お金は後で積み上げた書類の中から出てきました。」ふむふむ。「父がもう歩けなくなってから、若いファンの方が訪ねてきました。寒い日でしたがその方に真摯に答えていたことを思い出します。足が痛いのに少しもそわそわしたそぶりを見せず、最後まで興味深く議論していました。助けてくれた人がお金に困ったときは全財産(数万円)のくしゃくしゃなお金をあげました。生涯、大衆とか世間に寄り添って生きて来たのに、大衆とか世間の汚れに触れるとホントに愕然としてしまう。」ふむふむ。

 「父の最大の特徴は「即座に」やらかすってとこかな?人は頭で考えてから行動するが父は反射的に行動するから嘘はつけなかったと思います。姉と私の文学的成功や女としてのしやわせではなく、人としてしやわせになることが父の一番の望みだったと今は思います。気が良くて損ばかりしておっちょこちょいで何時も即座に人を思いやる血筋が良かったと今はしやわせを感じます。お金が神様になってしまった世知辛い世の中ですが、わたしはそんな風に思い強い意志を持って生きて行きます。」

 思想家って家族からあんまし愛されない人が多いのは抽象的に遊離してしまうからなのかな?吉本隆明は自分の実感から発しているからこんな感想を家族から貰えるのかもね。ジーン




 そうそう姉のハルノ宵子さんも来ていたなぁ♪ 春宵一刻 値千金!