6月4日(土)人間。この不思議なもの。

 薄晴れのち薄曇り。17℃〜26℃、68%。だんだん梅雨前線が迫ってきました。
 
 今日は、八丁堀から日本橋錦糸町に進出す。





 藝術とは:

 これは難しい定義ですね。技能工芸といえば簡単ですが、現代アートでは足に絵具を付けて暴れまわったり、便器にサインしただけでもアートになると。路傍の石も展示の仕方によっては芸術になったりして。写真機が出来る前までの絵画は、如何に精密に自然を写し取るかが競われました。しかし写真機が出来た後は、色彩や光、こころの投影、コンセプトの表現、バブルの頃は利殖など色々と拡がりました。音楽も自然な音声で表現する歌唱から、和音、リズム、メロディーで壮大な楽想を構成する交響曲まで、また現代音楽では不協和音やノイズを使ったりして、その表現には制約がまったくありません。現代はディジタル技術の発展で、そもそも表現手段そのものにも制約が無くなりました。

 で、芸術のどのような分野でも、大きく分けて二つの潮流があるように思います。その一つは、長年の技巧的な研鑽で精緻な表現を獲得した工芸的な藝術、もう一つは思想・感性を表出させるアート系です。感心させるのが工芸、感動を与えるのがアートと言えるでしょうか。一つの表現には「作用」「内容」「対象」の三つが内在すると、現象学的な分析をした人もいましたねぇ。これはなんじゃらほい?ヴィジュアル表現を例にとると、絵を描くことが作用、絵画がその内容、モチーフ(例えば花々)が対象なんです。

 しかし芸術を支えたのは、まるでそれに取付かれたように、息をしないと氏んでしまうように、それをしないではいられないミューズに取付かれた者たちだったのですねィ。若き天才モーツアルトから、晩年に開花したグランマ・モーゼスまでイロエロなケースがありますが、ゴッホ等伯のようにその生涯がしやわせだったのかどーか?は本人以外誰にも分かりません。すかす、一点非の打ちどころのない人格者よりも、タガの外れた奇人変人のほうが人を感動させる作品を創造でけるっちゅうのは、偶然ではありませぬ。芸術と狂気はどっか深いところで通底してるんですねィ。ガチョーーーン