1月11日(土)我々わぁ、何にとらわれているのかっ!

 快晴。1℃〜8℃。引き続きさぶい。ずてぃんしゃでは耳当てと手袋は必須。今日はワンワンワン♪





 常識とは:非常識では無いことである。(トートロジー?)

 常識で雁字搦めになっている自分に気が付くことは稀であーる。なぜならその状態が極当たり前で、それに何の疑問も挟まない(挟めない)からであーる!微かな違和感すら感じれないんであーる。

 しかし極まれには、常識に雁字搦めな自分に気づくときがありまふ。それは全く価値観の異なる人と話したときです。まったく話がかみ合わないし、どこまで行ってもすれ違う。もっと簡単に常識を壊すのは、身体感覚を少しズラして見ることかな?上下が逆に見えるメガネを掛けて1日暮らすとか、部屋で目隠しして暮らしてみるとか、車椅子で街を巡ってみるとか。

 もともっと簡単に常識を壊せるのは、文化習俗習慣の違う外国で少し暮らしてみることでしょうか。僅かな期間で、自分がガチガチの常識のタガにハマっていることが実感できます。んで常識が毀れちまったらどーなるんでしょ?・・・自分が前よりも、もっともっと自由になれるんだィ!アーダコーダ♪どもども。







 ふと思ったこと:権威付けの一種

 「彼は実はこう言いたかったんじゃないんかな?」 「いやそれはちょっと彼の本旨とは違うでしょ!」とか氏んだ人の真意を解釈・考証する文献学的な議論はよくありまふ。どっちが彼(氏んだ思想家)の思索した内容に近いのかを争うと。しかし思想も芸術とおんなじで、一端作り手の手から離れたれば、後は受け取り手の自由ってのがイイんじゃないんかな?だって氏んじまった人はなーんも言えんもんねぇ。受け手は王様だあああああ!オープンエンド