1月12日(日)正月最後の行事、七福神めぐりてポエムへ

 冬晴れ。1℃〜9℃。青空に、ちょっと太った半月が寒々しく浮かぶ午後。

 一応恒例の七福神巡りに行ってきた。各所人大杉。餅つきの福餅を振る舞ってもろた。旨し美味し。これで力がつき青山方面に回る。ABC(青山ブックセンター)でのトークイベントに参加。







 小田嶋隆「ポエムに万歳!」vs高橋源一郎「国民のコトバ」:一言でゆっておもすろかった。

 最近の日本はポエム*1づいているってこと。まず生まれた時からキラキラネーム、緑夢(グリム)、今鹿(ナウシカ)、黄熊(プー)、泡姫(アリエル)とか、ありかよこんなの?それから結婚式場の宣伝(ゼクシー)で外国人の王子様への憧れポエム盛りだくさん。それから家を買う時のマンション・ポエム「知の回廊@本郷」とか「覇王の庭園@六本木」とか。これも結婚式場と同じく写真は外人ばっかし。最近では大学案内もポエム化してきて、まるで遊園地のコピーのようになってまふ。

 つまり人生の各要所毎にポエムの洗礼を受ける日本の構造は何時から始まったのか?この源流は欧化、文明開化の明治からじゃないのかという見解。森鴎外の子供の名前にキラキラ化の萌芽を感じるとか。それから実篤ウィルスが蔓延し、「楽しきことは美しきかな(81歳)野菜」とか「日々成長(89歳)柿」とか「共に咲く喜び(90歳)花」とか、その伝染力極めて強し!それを受け継いだのがトヨさんの「くじけないで」、いやいやその前に「考えてばかりじゃ日が暮れちゃうよね。みつお」があった。「あのね、〜だよなあ♪」の自己肯定と生活密着感でどんな居酒屋のトイレにも似合います。日本の現代詩が衰えたのも、このような生活密着のポエムを切り放し純化し過ぎたのが原因か?せめて芭蕉くらいの生活感を残しておかんとねぇ。

 まとめると、外人への憧れと、生活の中の癒し言葉欠乏が日本のポエムを生んだと。すかす理由も言わず断言するポエムスタイルは感情に訴えて思考停止を生む怖れあり。詩は本来メタファー、比喩、隠喩を介して思考活動を活性化するもの。これがポエムの言い切りで逆に作用してしまいまふ。断言はスッキリと気持ちよいし逞しさを感じさせまふ。決められる政治、「〜なら〜して当然だろう!」の文脈。最近はどのメインストリートにも日の丸の旗が並びます。だって「日本人なら日本を無条件に愛して当然だろう!」。この断言パワーで力を付けてきたのが橋下さん。「嘘でも言い切れ!」「負けそになったら、訳わからんこと言って逃げろ!」、「友達は利用しろ!」とか昔の著書に書いてまふ。

 あとヤンキーとポエムは近いとか。ラーメン屋の壁にはポエムがいっぱい♪団塊の蕎麦打ちからヤンキーのラーメンポエムへ。「美味しんぼ」の影響で食べログのポエム化も顕著だとか。流行るソムリエも言葉の勝負、一杯のワインを800字以上で表現できなけりゃ一流ではなーい!村上春樹のメタファーもポエムかも知れない「春樹の比喩辞典」。ツイッテルにもポエムが満載などなど、最後は言いたい放題で爆笑のうちにジ・エンド。その後サイン会があったけど、ぼくは本を買わんもんね〜。早速図書館で借りて来よう。フフフ





 休日の青山通りは極めてにぎやかです。ファーマーズ・マーケットで黒いトマトを購入す。イルミネーションはとても洗練されてて美しかぁ♪

*1:詩の一分野であるが大衆的かつセンチメンタルかつ警句的なもの。コピーに近いかも。