10月20日(木)戻り夏日に、虎ノ門大学院にて、情報と絆についてディスカッション。

 快晴!17℃〜28℃、56%。昼は少し暑いくらいの夏日。

 虎ノ門ヒルズに進出す。ここの下をマッカーサー道路が通っている。豊洲まで貫通する予定だったが、果たしてどーなることやら。すべての検査が終了し、ピロリ菌もいなかった。今後は食事をよく噛んで規則的に取ること、アルコールは適量に、つうことで一件落着。定期健康診断から始まって、イロエロと気を揉んだ1カ月でしたあああ!ひと安堵♪






 赤い情報でも青い情報でも:役に立つ情報がイイ情報なんですぅ。

 情報とデータの違いは何か?情報は意味を成すものとして定義できるかも?データは単に情報を担うデジットです。情報はエントロピーと同じだと言う理論(シャノン)があって、選択情報量を自己エントロピーと言ひ、この平均情報量をエントロピーとも言ふ。熱力学でいうエントロピーの増大は、情報は万遍なく拡散することに相当する。また時空関数としての情報は、上書きされたら跡形もなく消えてしまうことを示している。
 
 「猫に小判、豚に真珠」のように価値の分からない者にとっては、情報が役に立たないこともある。「馬の耳に念仏」も良い情報が周りに溢れていても、興味が無ければ風のように通り過ぎて行くだけである。現代は、TV,ラジオ、新聞などのブロードキャスト情報以外にも、本、広告、Webサイト、SNS、ツイッテル、家族、友人、知人、第三者などからの情報で溢れ返っています。

 時事、事件、事象などの生情報は、必ず発信者を通して、受信者に拡散される構造を取ります。発信者は今のところ必ず人間ですから、発信に際して多かれ少なかれ、必ず情報選択の恣意性が入り込みます。即ち我々は、発信者の色眼鏡を通してしか情報にアクセスできません。我々は、イロエロな色の眼鏡、イロエロな濃さの眼鏡、を通して世の中を見ている訳です。と言うことは、極端に言うとブロードキャストされる情報の99%は嘘(色が付いている)で、本当の色(本質)からズレていると思った方がエエでしょう。

 また我々自身の思い込みや常識、習慣で情報は変質するし、権威によっても歪められます。脳の簡素化作用によって、最初に得た情報を正しいとする枠にハメル傾向もありまふ。みんなが言っているから正しいとする雷同傾向もありますね。


 でわ、どーしたらより本質に近い情報を得ることがでけるのか?・・・まず、自分でよく考えて、裏にある真意を想像するという想像的懐疑が必要となるでしょう。そして、・概念のタガを外す、・入って来た情報は一時的に保留する、・複数ソースを比較する、・共通部分を抜き出す、・そしてできれば現地(特に海外)から直に入手する、などの方法を身に着けることも大切です。・・・ま、情報には必ず色が付いているという認識と、その色を付けた意図を推察する、という操作が常に必要となるので、しんやうでけそうな人を複数作って、その粋を吸い上げると言ふ簡便法が有用でしょう。

 とは言え、人格的には「疑り深い嫌な奴」という誹りは免れませんねぇ。そーまでして、真実に近い情報を追求するか、騙されて甘い夢を見続けるかは、諸君の選択に掛かっておるんじゃあああ〜!アハハ