10月16日(日)昨日とは今日ではないです。満月

 晴れのち薄曇り。13℃〜23℃、62%。

 秋空に赤と青と黄色の風船が吸い込まれて行った。最後のバルビゾン派(ベルナール・ガントナー)の絵画を見る。





 物の考え方とは:

 帰納(induction)と演繹(deduction)という方法がありまふ。・・・やったー!大谷165km/hでCSを制す!中田MVP!佑ちゃん鎌ヶ谷

 帰納とはイロエロな個別の事実(情報?)に基づいて、一般的な理論を導く統計的な方法です。一方、演繹は理論に基づき推論を積み重ねて結論(情報?)を導く論理的な手段です。

 と言っても分かりにくいですが、三段論法(人はしむ→信長は人である→信長はしむ)などは典型的な演繹で、実験で積み重ねた事実から確率的確からしさを構成する(林檎を落としても、鉄の玉を落としても、けん玉を落としても、同じ時間で着地する→落下の法則)のは典型的な帰納です。

 「ひらめく演繹、まとめる帰納」と唱えると覚えやすいかも知れません。演繹は理論を展開して情報へ、帰納は情報をまとめて理論へ、という流れと言えるかも。でもこれはリカーシヴ(再帰的)に循環するから、鶏と卵かも?帰納の過程で個別的事実をまとめる際にアブダクション(仮説形成)が使われることもある。しかし、無限に事実を寄せ合集めることは不可能ですから、時に悪魔の証明に陥ることもありまふ。

 ちなみにカントの言う演繹は「概念の正当性の論証」であり、数学的帰納法(ある命題がx=1で成り立つ→x=nの時成り立てばx=n+1でも成り立つ→全ての自然数で成り立つ)は演繹である。


 科学的手続きにおいて、ミクロからの積み上げ(例えばDNAを分析して生物の挙動を調べる)と、マクロからの類推(例えばイロエロな環境、条件における人間の行動を観察する実験心理学)があり、前者は質点の位置と運動量の初期値から質点の運動を導く古典力学に当たり、後者は温度と圧力の関係をエントロピーなどで理論化する熱力学が相当するし、その間を繋げるのが統計力学かな?大雑把にいえばミクロは演繹、マクロは帰納といえないこたーない。・・・ともあれ糾える縄のように帰納と演繹はお互いに絡み合って、人間の思考を形作ってるんですぅ。ジャン