9月3日(火)マスコミもテストもミンス制もリーダーも、全てカタカナであり無意味です

 もくもく雲の極めて多い晴れ。28℃〜32℃。遠くに積乱雲。これはひょっとして南海の雲峰か?








 官僚的な報道姿勢とは:

 ちょっと諄(くど)いようですが、「竜巻みたいな突風が家を飛ばし、電柱を倒しました。」…今日「竜巻で間違いない」と気象庁が断定。
・「台風のような大雨が降りました。」・・・一日後「昨日の大雨は颱風と確定しました。」
・「津波のような大波が防波堤を襲いました。」・・・一日後「昨日の大波は津波と確定しました。」
 とかと同じにほい。これでは臨場感も緊急性もニュース性も薄れるでしょ?ミスを怖れる減点主義の官庁にマスコミが合わせてどーすんの?これ最近の報道では、頭蓋骨が割れて殆ど即死なんだけど「病院へ運ばれ、3時間後に死亡が確定しました。」と同じような報道姿勢。資格を持った権威が断言するまでは、な〜んも報道でけまへん。これが自分たちが些細なミスを突いてきたものだから、国民からミスを突かれるのを極端に怖れるようになった守りの報道の本質だす。ま、塞翁が馬的な裏腹主義のぼくから言わせてもらえれば、「緊急性と正確性の狭間で、正確性に極端に寄り過ぎた」石橋叩きさんたちが官僚主義的な大組織の中に蔓延り始めたんでしょう。か?






 ・「テストは学習の達成度を計るためではなく、学習の達成を助けるためにあるのです。」(ユネスコ教育指針より)・・・ただし入試や資格試験は学習の達成度を測るためのものですぅ。似てるから往々間違えるよね。でも近年、資格試験そのものを否定するような議論もでてきますた。経験を積んで周囲からも認められたら資格を与えようとか。ぼくもいくつか資格を持ってるけどむかーし1回の試験で取った資格なんて今ではほとんど無意味だもんねぇ。プ




 ・「国民による国家の正統性への信頼が崩れると民主主義は空洞化する。」(マックス・ウェーバー)・・・1票の格差とか死に票の拡大とか民意が薄まって来ると、形式的な正当性だけが独り歩きし出しますか?「選挙でカタを付けようぜっ!」とか凄む輩が増えてきまふ。




 ・「金も所属も地位も家柄もぜーーーんぶはぎ取って、その辺に置いておいても自然に人から慕われオーラを発するのが真のリーダーである。」(玉虫のリーダー論より)・・・時折り偉い人を眺めては、脳内で思考実験をしまふが、これにパスする人材は極めて少ないです。でも、時折り若い人の中にその萌芽が見れるのは何よりの楽しみだすなぁ。





 ・「意味とは何か?そりは世界を合理的に解釈しようとする試みであーる。」(玉虫の意味論より)・・・意味こそ生命であーるっ!ふとした切っ掛けで世界に意味があるように思えた時が生命力が充実した時です。世界が無意味に見える時、それは生命が枯渇したとき。しかし斯様に受動的な意味論ではなくして、世界の真の意味は何かっ!それは意味を自分で掴み取る行為の中に存するっ!!!
 たまたまこのような両親のもとで、このような家柄で、このような容姿で、このような能力で、このような時代に、このような国に、・・・、生を受けることをわたしは選択できなかった。まことに偶然の賜物であーる。このような生に意味はあるのかっ!・・・・・・
 そしてそのような運命を自らの意志で甘受し、この生を自分の意志で受け入れた時にこそ、そこに必然が生じ、自分の人生に意味を与えることができるのだす。どこにでもいる市井のショボイおやじから、偶にこのような声が聴けるのも人生の楽しみではありまふ。意味の意味とはどー言ふ意味か???