9月4日(水) ところ変われば品変わる、文化と言語も?

 もくもく雲の動きが早い概ね曇り、ときおり雨、ときに陽射しという不安定な天気。25℃〜30℃と気温はやや低めですが湿度は終日90%前後と極めて高し。汗疹がぶり返す。

 夏風邪が咽喉元を過ぎて鼻と気管支を通過中(ズルズル、ゲホゲホ)。経験によれば、あと2日くらいで快癒するかも。そー言へばこないだ近くのジムで森本総理いや森 元ソーリを見かけたど。近くに移って来たのかしらん?





 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 蝉のコロリに驚かれぬる (玉虫丸)

アスファルトの上やビルの屋上などで蝉たちがコロリとひっくり返って氏んでいるのを見かけると嗚呼!秋だなあと感じまふ。 ここで一つ思い出したのはフランスの友人が初めて日本に来たとき。あまりの蝉の鳴声に驚いて「このジージー、ミンミン、ガシャガシャいう音は何じゃらほい!」と耳を覆ったこと。日本人の感性だと静かさを感じるんですがねぇ?「静けさや 岩に染み入る 蝉の声 じーじりっじりじり」蝉を初めて見たしとは、蠅の怪物だと思うそーだすぅ!
 あとこのしとが冬に来たとき「なんじゃあああああ!この真っ黄色な芝生はあああああ!」と驚いてた。ところ変われば品変わると。おフランスの芝生は冬でも青々としてるんすよ。プ






 これを更に拡大した感性が言語なんすねぇ。言語には文化が宿ると。言語を無くされた民族は文化も無くすと。アイヌ熊襲、はたまた北米ネイティブの文化はその言語と共にホロン部と。日本の文化もそのカタカナ言語の氾濫によりてホロンブと言ふ言語国粋主義者も見受けられまふ。

 現今の大日本の現状を見るに、カタカナの氾濫どころか英語そのものが社会を席巻しておーるっ!会社名にしてからが漢字はダサイとすべてアルファベットに変えられておりまふ。英語が読めない者は非国民とまでのさばっておーる!この現状を如何にせむ。
 
 すかすですねィ、逆に戦時中は「敵性言語の禁止」なんてので規制されててですねィ。アナウンサーが放送員、レコードは音盤とか、コロッケは油揚げ肉饅頭とか、これはエエですねィ。そんじゃこんなんはどだろ?アウト:ひけっ、セーフ:よし、バッテリー:対打機関とか。楽器でも、ピアノ:洋琴はまだイイとしても、トロンボーン:抜き差し曲がり金真鍮喇叭なんてのはこじ付け杉!





 とこんな背景で、今ではカタカナ英語が氾濫してるんすが、これも裏腹。言語に対するこのような許容度が今の日本語を形作っていると思えば徒に嘆き悲しむことはなかりせむ。柔軟性とは言い換えれば無定見つうことなんすねィ。プ それに言語とは、お上が指定して規制するものではなくして、言語自らがまるで生き物のように進化発展していくものなんすよ。などてチンピラマスコミが自主規制して、忖度して方向付けれるものではごぜーません。どもどもどーも。






 ちょっつ今日のエントリは無定見すぐると、我ながら思いますただ。
確かに時の政権の施策によりて言語は流通もすれば抹殺もされます。力(剣?)は道理(ペン?)に勝るのかっ!  今までの歴史を修正しなければ、これは確かに国民国家と言ふ権力が民族の言語や文化を抹殺してきたと言へるでせう。後進文化は先進文化に従うと。しかしですな、その痕跡は至る所に残っているからわだすのようなディレッタントにも、そのにほいが嗅ぎ分けれるんすよ。言語は生き物♪官僚が如何に規制しようとも流行るものははやる、無理やり作ったものは廃れるっつう原理は生きてるんすねぇ。この辺が唯一の救いでしょーかっ。どもっ。